大学駅伝ってどうして強い大学がすぐに弱くなってしまうのか?
- 2018/11/19
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大学駅伝は栄枯衰退型スポーツになっている
今の大学駅伝で王者と呼ばれている大学が青山学院大学ですが、往年の駅伝ファンには「そんな大学いつから強いの?」と聞かれてもおかしくありません。
箱根駅伝ではこの4年間、優勝を続けているのですが、それまではほぼ無名の大学だったからです。
大会に出られるようになったのも、この10年間でしかないのでは無理もありません。
青山学院大学には、この流れを断ち切らずどこまで大学駅伝王国として君臨していくのかも見届けたいものではあります。
一方で、これまで駅伝が代名詞だっかのような大学の名前を久しく聞いていない大学もあります。
プロスポーツチームでも強くなったり弱くなったりはありますが、かなり目立つ大学駅伝の実態を探ってみましょう。
・箱根駅伝の歴代優勝校の傾向
他にも大学駅伝はありますが、何と言っても正月の花形スポーツとしてなっている箱根駅伝だけの歴史を振り返ってみます。
すると強い大学が存在した時代と言うのが大まかに分けられます。
昭和10年代は日本大学が圧倒的な優勝回数を重ねています。
戦後しばらくは中央大学が優勝争いの中心になり、明治大学や早稲田大学などが対抗していたようです。
昭和40年代には日本大学が復活し、日本体育大学が5連覇する時代もありました。
昭和50年代から大東文化大学、順天堂大学、山梨学院大学と言った新興大学が躍進しているようです。
平成10年代は駒澤大学が、平成20年代には東洋大学が目立ち、そして現在の青学時代が到来しています。
素人的な考えもそこそこはまっている
駅伝は団体競技ではありますが、ひたすら強いメンバーが揃えばそれを足し合わせたものがその大学の実力となる協議です。
短距離リレーのように、バトンの手渡し技術をメンバー間で練習してタイムを上げられるものでもありません。
ですから、より強いメンバーが揃っていそうな大学に入ることが駅伝でも優勝する可能性が高くなるわけです。
高校生時代に良いタイムを出した選手が集まりそうな大学に行けば、自分も駅伝の優勝メンバーになれると言う当たり前の発想です。
ただ、それには自分もそれだけの強い選手の中で出場メンバーに入らなければいけませんが、そこは若さで自分なら頑張れば大丈夫との自信もあったりします。
こうして一度、強くなった大学は続々と有力選手が集まり一時代を築く訳です。
そしてある年に調整の失敗とかで誰かがブレーキとなって優勝を逃したりすると、たちまち時代は新たな大学に変わったとばかりに選手が集まらなくなったりするのでしょう。
以上は、単純な素人の発想だと指摘されるのがオチかもしれません。
外国人頼みの影響もある
最近の駅伝では必ずどこかで見かけるアフリカ系外国人は、勝負のカギを握っているケースがほとんどになっています。
そこで留学生を集めて駅伝で名を挙げた大学もありますが、それも長らくは続いていません。
そんな大学の事例を挙げてみます。
山梨学院大学の場合
箱根駅伝では予選を突破し一応、参加は出場しているものの、もはやかつての強豪校のイメージでしかなくなった山梨学院大学です。
チームの中で留学生だけが跳び抜けて強いと、何とか繋いでおいて勝負所は彼に任せておこうと言う空気も生まれがちでしょう。
それでも上位に入って目立ち始めた頃は、人気もあって選手も集まっていたようですが、一時的な人気に留まった要因にもなっているはずです。
山梨学院大学が強くなってから追随するように他の大学でも見られたスタイルですが、同じ道を辿っている大学もいくつかあるようです。
留学生を否定するわけではありませんが、そのために多くの日本人選手が伸びなくなってしまっては全体の底上げにならないのです。
留学生を日本人を引き上げるための起爆剤として溶け込ませ続けるような体制も望まれます。