「弘法にも筆の誤り」で間違った文字って知ってますか?

  • 2019/01/02
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筆

「弘法にも筆の誤り」はなぜことわざになっているのか

ことわざで「弘法にも筆の誤り」と言えば「猿も木から落ちる」と同意語のような意味があります。
「達人でも失敗することはある」と言う意味です。
その前に「弘法も筆の誤り」が正しいのではないかと思っている人もいるでしょうが、こちらの方が誤りとされています。
猿が木から落ちるのは、確かになかなか無いことですので、その意味もわかりやすいものです。
そこで「猿も木から落ちる」が一般的に使われやすいものです。
同様に、弘法と言う高尚なお坊さんが筆を誤ることもなかなか無かったことなのでしょうが、猿ほどピンと来るものでもないでしょう。
使い分けるとすれば、上司など目上の人の失敗を指せば、尊敬の念が込められているような気がしておすすめではあります。
この難しいことわざが誕生した由来について触れてみます。

 

故事を探る

ことわざの意味から考えれば、何もわざわざ大昔のお坊さんの失敗談であろう話を引っ張り出しているのは不自然にも感じられます。
どうしてそのような流れになって現代でも通用しているのか、その辺りを探ってみます。
・なぜ弘法なのか
弘法はよほど字を誤らなかったのでしょうが、まずその人物を紹介します。
平安時代に真言宗を開いた空海のことで弘法大師はその尊称です。
書の達人としても名高い存在で、嵯峨天皇、橘逸勢と並ぶ三筆とされています。
・間違った字は「応」
弘法の字の誤りについては、今昔物語集で確認されています。
「弘法大師宋に渡り真言の教へを伝えて帰り来る語第九」の中で、「ところが応天門の額をうちつけてから見ると、応の字の最初の点がいつのまにかなくなっている」と記載されているのです。
弘法が間違ったのは、天皇の勅命により書いた平安京の大内裏にある応天門の名称です。
応天門に掲げる額を書いたのですが、その「応」の字の最初の点を書き忘れたのです。
天皇陛下に頼まれたのに、それを弘法ほどの人物が失敗したところが印象深い出来事だったのです。
また普通の文書の中の一文字などではなく、日本の中心である平安京でも目立つはずの門の看板に掲げるたった3文字の内の1文字だったからでしょう。
それも画数も少なく誰も間違いそうにも無さそうな字ではありませんか。
これだけの意外性があってこそのことわざとなったのは間違い無さそうです。

 

ただの失敗談を超えている

弘法は額を応天門に掲げたところでやっと気付いたのですが、そこは慌てず筆を投げつけて点を加えたともされています。
この辺りのリアクションの豪快さが印象深さをより鮮烈なものにもさせたのでしょう。
歴史に残る失敗とそのリカバリーとして後世に引き継がれたこともあるのではないでしょうか。
このリカバリーまで範囲を広げると、失敗を指しても後のリカバリーに期待も込めた意味深なことわざなのかもしれません。
とすれば、やはり「猿も木から落ちる」あるいは他にもある「上手の手から水が漏る」などとは、一線を画して使うべきなのではないでしょうか。
失敗事実がことわざにまで昇格し、今やことわざ界の中でもその地位が高められているような気もします。
さすがは弘法大師と、あらためて歴史の人物を見直すばかりです。
これからは「猿も木から落ちる」ですね、などと軽々しく言わずに「弘法にも筆の誤り」ですね、などと言っておいた方が良さそうです。
もしも言われる方が、この故事を知っていればなおさらです。
これだけでなくサラリーマンであれば間違っても上司相手には、ことわざの選択を誤らないようにしたいものです。
弘法が間違った文字だけを何気なく調べてみると、このような意外な発見もあるのですから、何でも疑問は解消するように心掛けるのが良さそうなことも発見です。

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