震源から離れていても御用心…地震多発地帯・中央構造線とは
- 2018/07/08
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関西は地震が少ないというけれど
6月18日朝、大阪府北部を震源とする最大震度6弱の大きな地震が発生しました。気象庁ではこの地震に正式名称をつけていませんが、マスコミでは便宜上、大阪府北部地震、大阪北部地震などと呼んでいます。
関西地方の大地震といえば、1995年に最大震度7を記録した兵庫県南部地震を思い出す方が多いでしょう。この地震による災害全般が阪神・淡路大震災と呼ばれます。兵庫県南部地震の震源は、大阪湾から淡路島北部に走る六甲・淡路島断層帯の野島断層とされており、地震後には実際、断層が地表に露出しています。
一方、今回の大阪府北部地震では断層の露出が見つかっていないため、震源がまだ特定できていません。現在のところ有力な説では、最も激しく揺れた高槻市の北側にある有馬―高槻断層帯と、南西側にある上町断層帯がほぼ同時に動いたと考えられています。
一般的に「関西は地震が少ない」といわれますが、滋賀県・京都府・大阪府を中心とする近畿トライアングルは活断層の密集地域。このため直下型地震が起きやすく、一度地震が起きると被害が大きくなりやすい傾向があります。
九州から関東までを貫く中央構造線
大阪府北部地震の報道を見ていると、有馬―高槻断層帯の前回の活動として1596年9月5日に発生した慶長伏見地震がよく取り上げられますよね。この地震はマグニチュード7.0程度と推測されています。大阪府北部地震のマグニチュード6.1と比較すると、最大震度は7レベルの大きなものだったでしょう。
慶長伏見地震が起きた時期は当時の天下人・豊臣秀吉の晩年で、秀吉は隠居のための城である伏見城で被災しました。城は天守閣などが崩れて城内の使用人が500人以上亡くなる大被害を受けましたが、秀吉は難を逃れ、城の近くにある丘に仮設住宅をつくって避難しています。
この地震の4日前である9月1日には伊予(現在の愛媛県)、前日の9月4日には豊後(現在の大分県)で、やはりマグニチュード7.0程度と推測される大地震が起きており、それぞれ慶長伊予地震、慶長豊後地震と呼ばれています。これら3つの地震は一見するとまったく関係ない場所で発生しているように思えますが、実は大きな共通点があります。
それは、中央構造線という巨大な断層の近くで発生している点です。中央構造線は九州、四国、紀伊半島、長野県を通って関東まで続く日本最大級の断層で、このラインに沿うように多くの活断層が存在しています。有馬―高槻断層帯も中央構造線と連続性があると考えられており、中央構造線が活発に動くと広範囲で地震が起きる可能性が高まります。
一昨年の熊本地震と関連がある?
日本列島はもともと中央構造線を境に大陸側のユーラシアプレートと太平洋側のイザナギプレートという別々の地盤に乗っており、ユーラシア側は北から南へ、イザナギ側は南から北へ移動した結果、合体して現在の日本列島の原型になったと考えられています。このようななりたちから考えれば、中央構造線付近で地震が起きやすいのは当然なのです。
一昨年に震度7を2回記録した熊本地震も、震源である日奈久断層帯と布田川断層帯が中央構造線の近くに位置しています。このため、熊本地震と大阪府北部地震には関連性があると考える研究者もいます。慶長期の実例を見れば、その可能性は否定できないでしょう。もしもそうだとすれば、中央構造線に沿った四国や関東で次に大きな地震が起きても不思議はありません。
また、現在最も警戒されている南海トラフ地震が発生する前には、中央構造線などでの直下型地震が増加するというデータがあります。実は伊予・豊後・伏見で地震が続いた9年後の1605年には、現在の千葉県から鹿児島県までに津波の被害が出た慶長地震が発生しており、これは想定される南海トラフ地震の被害地域と一致します。
日本で生活している以上、どこにいても地震に遭う可能性があるのです。防災の意識を高く持ち、いざというときのための備えと訓練を怠らないようにしましょう。