入試が年2回あったらオレたちの人生変わっていたかも

  • 2018/02/28
  • ライフスタイル・娯楽
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  • のりき 夢丸
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国立大入試改革の大トリは複数回実施だった?

国立大入試改革の大トリは複数回実施だった?
今はまさに受験シーズンまっただ中。
家に受験生を抱えているオヤジさんたちの辛抱&心配は、あとひと月ほど続く。
また合格したらしたでこの春は物いりになるし、心もお財布も休まらないのが2月、3月というわけだ。

さて国立大学をはじめとする新たな「共通テスト」の内容がこれから様変わりしていくことは、受験生の親なら知っていて当然だが、もっと先、つまり共通テストが少し定着した頃に、文科省は

▼年に複数回の入試を実施することを前向きに検討中

であることを、ご存じだろうか。

つまり共通テストを皮切りに、各国立大学まで足並みがそろえば、純粋に入学チャンスが2倍に増えるということだ。

もしかしたら共通テストを採用している私大にもその余波は及ぶかもしれず、「科目や実施方法の変更」ばかりに目がいきがちな入試変革の本丸は、実はこっちかもしれないことを覚えておきたい。

 

たとえば一発勝負なら「本番に強い人材」は養えるのか

たとえば一発勝負なら「本番に強い人材」は養えるのか
先日の衆院予算委員会で行われた質疑の中で、安倍首相は「(今の試験は)一発勝負で負荷がものすごく高く、大雪や体調で人生の相当が決まってしまう。検討する必要がある」と答弁、また林文科相も「24年度以降の共通テストに実現できないか検討したい」とし、政府としても「複数回実施」に舵を切る可能性があることを示唆した。

首相のいう「一発勝負」で、いまの社会人は養われてきたんだ、確かにそういう向きもある。
私大を受けるなど八方手は尽くしても、行きたい大学に行かれるチャンスは純粋に年1回であり、自分の進路を「変える」必要に迫られた人は数知れない。
でもそれに甘んじたり、また乗り越えたりするところに入試の矜持(きょうじ)があるという意見だ。

ただ若いうちの1年は、相当に密度が濃い時間でもある。
自分も不合格ではなく、留年の友人を持った経験があるが、なにしろ「大学へ行くモチベーション作りに相当苦労した」と語ってくれたのを思い出す(今はなんと社長!)。
1年というブランクが、若者には長すぎる時間だということもよく理解できる。

 

受け皿がまだ全然整っていない

受け皿がまだ全然整っていない
この複数入試機会について、過去に有力国立大側でも何度か検討されたことはご存じだと思う。
当時は「秋入試」などと呼ばれ、センター試験はそのままに、国立大自体が秋にも入試を行うという、今とは反対の大学側の音頭取りで検討されたが、その断念の理由のひとつに

▼現在の大学→社会人就職ルートに半年のギャップを作れるほど、世の中がまだついてこない
というものがあった。

つまり、
▼秋に入学させた生徒は4年秋に卒業させるのか
▼秋卒業生の就職戦線はいつからいつまでということになるのか
▼入学前の春に空いたギャップをどう埋めるのか、埋めないのか
など、社会人、企業側との整合性がとれないことによる混乱を危惧した声だ。

そしてそれは今も厳然たる事実として「誰も手をつけずに」横たわっている。
だから教育側でどんなに騒いでも、社会側にメリットがあったり、コンセンサスを得られないうちは、複数受験機会もまさに「絵に描いた餅」なのである。

 

でもちょっと夢見てみたい年2回のチャンス

でもちょっと夢見てみたい年2回のチャンス
数々の難問を抱えながら、こうしていちおう検討議題には上った複数受験機会制。
→冬と秋では、受験生にレベル差が出てくるのか
→行きたい子は高3秋に受けてもよくなったりして(飛び級を整備)
→高卒後、半年、1年半海外へ留学、帰ってきて大学受験なんて子も出るか(秋入学と海外行きはすごく相性の良い制度)
→予備校が復活気配になる?(不合格者の出入りが活発化?)
など、社会を巻き込んだ教育制度改革になるのは間違いない。

「一度落ちたら二度と浮かび上がらないのが今の日本」
だとしたら、教育だけでも何度かチャンスを作ってあげることは決して悪いとは思わない。
ただその成功度は、社会がどれくらい「3月卒業こそ王道」という色眼鏡を外して子どもたちを見守れるかにかかってくるだろう。

この記事の作者

のりき 夢丸
のりき 夢丸
馬と日本酒と時代劇をこよなく愛するフリーライター。 モットーは「人の行く裏に道あり花の山」。 最近はドローンに興味津々の毎日。 競馬血統ブログ「ほぼ毎週競馬ナビ」にて執筆中。
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