もし8月15日に終戦を迎えていなかったら日本はどうなった?

  • 2017/08/28
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8月15日以降の連合軍作戦予定

昭和の後期に、架空戦記小説が流行したなかで、昭和20年8月15日を過ぎても第二次世界大戦が終わっていない話がいくつかありました。しかし、そこは架空戦記ですから日本の状況は史実とは異なり、継戦可能な状態であり、連戦連勝のストーリーまであったように記憶しています。

しかし、史実と同じ状態で8月15日に終っていなければ、日本はいったいどうなっていたでしょうか?

8月15日以降の連合軍作戦予定

歴史にIFを持ち込む以上、そのストーリーはひとつでは済みません。架空戦記のような自由な前提ではなく、あり得る内容としては以下のパターンが考えられます。

・原爆と焦土作戦で壊滅
・ソ連の南下で分断統治
・米ソの激突で日本消滅

まず、連合国軍=主にアメリカ軍は史実では中止となったダウンフォール作戦と呼ばれる本土上陸作戦を実施した可能性がでてきます。ただ、単純に上陸するのではなく、徹底的な空襲と艦砲射撃で反撃能力を叩いてからの上陸となったでしょう。また、広島・長崎に続く原爆が使用された可能性も大きいです。それだけでも甚大な被害ですが、本土決戦に備えていた日本側の激しい抵抗も残っています。

この作戦では、毒ガス・生物化学兵器の使用や、食料を断つための薬剤散布も検討されていたといわれており、その過程で、残っていたあらゆるものが破壊されつくします。その結果、日本は壊滅してしまったでしょう。そうなった場合、アメリカ一国での占領統治には無理があり、各国での分割統治が現実的なものとなったかもしれません。

毒ガス・生物化学兵器の使用

これも悲惨なストーリー

8月15日で終わらすダウンフォール作戦が実施された場合、計画に従えばアメリカによる全国への進駐が遅れます。この場合、北方からのソ連軍の侵攻を食い止めていた現地日本軍の活躍にも限界があります。やがて北海道へ上陸したソ連軍は、東北地方から関東を目指して南下する可能性が高まります。鹿児島から、次いで関東から上陸を開始したアメリカ軍と出くわした地点が、東西の分断線となったかもしれません。

そうなれば、日本ソビエト共和国とか日本人民共和国などといった名称の国が成立し、東西分断国家になってしまったでしょう。しかし、分断国家にならない可能性もあります。それが、次のパターンです。

北から進撃するソ連軍と南からやってくるアメリカ軍。双方が日本軍との戦闘を終えたとき、睨み合いの状態になることまでは予測可能です。史実での朝鮮半島では、米ソが衝突することはありませんでした。しかし、日本はアメリカにとって赤化の防波堤となる場所です。ここでソ連軍と対峙することになれば、開戦した可能性も少ないながら存在したでしょう。連合国軍として手を握っていたのは、あくまでも枢軸国軍と戦うためでした。

ダウンフォール作戦

この場合、肝心の日本の意思とは無関係に米ソがガチで戦うこととなり、日本は壊滅どころか消滅の危機に瀕したことでしょう。

ダウンフォール作戦が実施されなかった場合でも、ソ連の南下を黙って見ていることはなかったとすれば、やはり本土上陸作戦は行われます。守る2000万を超える日本軍との筆舌に尽くしがたい戦闘が繰り広げられたことは間違いなく、8月15日に玉音放送があったことは、ひとつの救いだったという外ありません。

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