新しい趣味!?一見地味な博物館も実は知の宝庫
- 2019/04/29
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面白そうなイベントを毎週末開催中
インターネットのお陰で都会と田舎の格差はずいぶん縮まりました。私、アントニオ犬助が、とりわけ恩恵を感じているのが買物。昔なら都会のレコード店まで足を運ばなければ、絶対に入手することができなかったマニアックな音源が、家にいながら入手できるようになったのです。その一方で、相変わらず難しいのがライブを体験すること。音楽だけでなく、美術や文化財を生で目にする機会も田舎では圧倒的に不足しています。都会の美術館や博物館のスケジュールを眺めながら「大阪では若冲、東京ではフェルメール」と、恨めしげにつぶやいてばかりでした。そうそう都会まで出かけていられませんしね。
そんなある日、犬助は気がついたのです。近所の博物館のスケジュールを眺めていたときでした。展覧会自体はしょぼいものの、面白そうなイベントや講座が、ほぼ毎週末に開催されているではないですか!
「庭師とめぐる地元の名園バスツアー」といった大規模なものから「夜のギャラリートーク」という渋めのもの、「消しゴムで落款を作ろう!」などの子ども向けのものまで、硬軟織り交ぜてさまざまな催し物を企画しているではないですか!
意味不明な古文書が「読める」という気持ちよさ
そこで、犬助が足を運んだのが「古文書を読む」という、実に地味な講座。動機は「何が書いてあるかわからない、古文書が読めたらカッコいいじゃん!」という、実に軽薄なものでしたし、地味なほうがハードルが低いと思ったからです。
場所は博物館にある会議室、机が並べられており犬助が入室したときには、すでに20人ほどが講座の開催を待っていました。歴史好きの若い女子はいないだろうか?講座をきっかけにお近づきになれたりしないだろうか?そんなゲスな下心も少々あったのですが、集った面子を見渡すと見事なおじいちゃんばかり。まあ、当然なんですけれどね。
そして講座が始まったのですが、まあ、わかりやすい。講師を務める学芸員の方に、まず最初に言われたのが、どれだけ古文書が難しそうに見えたとしても、書かれているのは日本語であるということ。だから及び腰になるなというのですね。次にコツとして、最初に見つけるのが繰り返し用いられている文字列。それは大抵接続詞だから、そこから文字の読み方の見当を付けていけというものでした。そんな風に講師が指導してくれますから、古文書が読めるの何の。指導がなければ、単なるミミズがのたくったような文字か何かもわからないものにもかかわらず、丁寧な解説があると、それらが文字に見えてくるから不思議なものです。
地元にも息づいていた歴史を感じる
講座で挑戦した古文書は、地元の古寺に保管されていた江戸時代のもの。関東地方へ旅行した際の日記で、内容自体は決して興味を引くものではありませんでした。ただ、犬助が面白く思ったのが、田舎には田舎なりに脈々と大昔からの営みが息づいているということ。当たり前じゃないか!といわれそうですが、そのことを何となくわかっているのと、実感するのは別物です。歴史上の大イベントを示したわけでもない、さして貴重でもない古文書ながらも、そのことを実感させるくらいは十分にできるということです。
一見地味な博物館も実は知の宝庫である
加えて、特に派手なイベントを開催しているわけではない地元の博物館ながら、何と楽しいイベントを開催しているのか!ということ。犬助が知らなかっただけなのですが、地味な博物館でも、使い方によっては楽しむことができるということ。古文書を読むイベントにしても、かかった費用は博物館への入館料のみ。そして講座が終われば、館内を自由に見てまわることもできます。
また、学芸員というのは何と深い知識を持っているのかということ。彼らは歴史のスペシャリストですから、古文書を読むことなど造作もないのです。そして、そんな知識を軽い気持ちで出かけた犬助にも、惜しげなく分け与えてくれる。何と贅沢な話ではないですか!
話題性に富んだ展覧会が周ってくるようなことはない、そんな地味な博物館ですが、当然ながらそこは知の宝庫でした。派手な展覧会を見にいくことだけが、博物館の利用方法ではない。ちょっと使い方を変えるだけで、新しい趣味になりそうなきっかけを発掘できる場所んばのです。考えてみれば、私たちは高額な市町村税を納めているのです。それを利用しない手はありませんよね。