江戸の独身男性はなぜ非正規雇用・低賃金でも生活できたのか

  • 2019/06/08
  • ライフスタイル・娯楽
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  • 八神千鈴
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独身男性が多数派だった江戸社会

独身男性が多数派だった江戸社会
50歳まで結婚経験がない人の割合を指す「生涯未婚率」を、「五十歳時未婚率」に統一すると政府が発表しました。これは、ライフスタイルの多様化で50歳を過ぎてから初めて結婚する人も増えてきたため。「生涯未婚率」という表現はすでに厚生労働白書などでは使われなくなっており、「五十歳時の未婚割合」とされています。
この「五十歳時未婚率」は5年1回の国勢調査で算出され、最新の2015年では男性が約23%、女性が約14%という結果になりました。2035年にはより上昇し、男性が約29%、女性が19%になるとの推計が出ています。
男性の約3人にひとり、女性の約5人にひとりが独身となると、かなり独身者が多いと感じるかもしれません。しかし、現在のように「結婚して一人前」と考えられるようになったのは明治時代以降。江戸時代には幕末期でも5割以上の男性が独身だったといわれます。
しかも江戸には臨時の武家奉公人や日雇い労働者として働く男性が多く、江戸の人口の6割以上が男性だったといわれます。つまり江戸では独身男性が一番の多数派だったのです。
勤務時間や収入が安定しないので家庭を持つことが難しく、独身が多い点は現代とよく似ていますね。しかし江戸の独身男性は非正規雇用かつ低賃金でも無理なく暮らせたといわれます。それはなぜなのでしょうか。

 

中食・外食サービスが豊富で物価が安い

まず気になるのは、やはり日々の食事ですよね。江戸では1日中、多くの行商人が同じ時間・同じルートで回ってきたので、朝に1日分のご飯を炊いておけばあとは家にいながらにして料理をせずに食事の準備ができました。このような行商人は天秤棒に商品をぶらさげて売り歩いたことから、棒手(ぼて)振りと呼ばれました。
棒手振りの商品には野菜や魚をはじめ、納豆や豆腐や漬物、さらには蕎麦や寿司などの夜食もありました。しかも現在の貨幣価値に換算すると納豆は80円ほど、焼き豆腐や油揚げは100円ほどのお手軽価格だったので、あまりお金がなくても中食で毎日の食事をすませられたのです。
仕事先でも多くの屋台があるので、食事には困りません。握り寿司と天ぷらは現代では高級店で食べるイメージが強いですが、江戸時代には屋台で食べるファーストフードでした。当時の握り寿司は現在より大きく、おにぎりほどの大きさがあったといわれますが、160円ほどからで買えたといいます。
屋台には団子や果物などのスイーツもあり、夏には西瓜や、冷たい砂糖水に白玉を浮かべた冷や水が人気でした。ファーストフードで物足りない人には茶漬けと汁ものとおかずがセットの定食を出すお店もあり、外食もお手頃価格でバラエティに富んでいたのです。

 

普段から気遣ってくれる近所の人がいる

また、独身者の心配事に孤独死があるのではないでしょうか。もちろん結婚しても配偶者に先立たれたら、結局は孤独死が悩みの種になるのですが……。実は江戸の独身男性は孤独死する心配がありませんでした。なぜならご近所との密接な交流があったからです。
江戸庶民の多くは、裏通りに建つ裏長屋という集合住宅に住んでいました。裏長屋の1部屋は四畳半の居間とキッチンの役割をする土間で構成されており、家賃はとても安く月1万円ほど。井戸とトイレは長屋の共用なので、普段からご近所と顔を合わせる機会が多くありました。季節の行事の際には長屋の住民全員でお金を出し合って食材を買い、ご馳走を作ってみんなでお祝いすることもあったそうです。
このような環境なのでプライバシーが守られないというデメリットはありますが、姿を見かけなくなればすぐご近所が気づいてくれますし、病気になれば看病してくれるという大きなメリットがありました。残念ながら急病で急死してしまっても、現代の孤独死のように何か月も経ってから発見されるということはなかったのです。
生涯独身もひとつの生き方として、特に珍しくなかった江戸時代。五十歳時未婚率の上昇、非正規雇用者の不利、低賃金などが社会問題となっている現代日本が、学べることは多いのではないでしょうか。

この記事の作者

八神千鈴
八神千鈴
編集プロダクション、出版社の編集者を経てフリーライター。現在は歴史系記事をメインに執筆。それ以前はアニメ、コスメ、エンタメ、占いなどのメディアに携わってきました。歴史はわかりづらいと思っている方にもわかりやすく、歴史のおもしろさをお伝えしたいです。
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