80年代を彩ったセダンにまつわるエピソードについて考えてみた

  • 2018/05/19
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当時の貧しさを表す、一つのエピソード

当時の貧しさを表す、一つのエピソード
「ジュブレ・シャンベルタン、2001年ものを持ってきて」
1979年に公開された日本映画「蘇る金狼」のラスト近く、主人公が混濁する意識の中、ワインをオーダーするシーンです。
これを演じるのは、もちろん松田優作氏。その怪演はもちろんのこと、この映画にはランボルギーニ・カウンタック・LP500Sや、マセラティ・メラク、BMW・アルピナB6も登場しますから、クルマ好きにとっても見どころが多い作品なのです。しかし、ここで問題にしたいのが、件のジュブレ・シャンベルタン。

確かにこのワイン、安くはない銘柄ではあるのですが、LP500Sを転がしているような社会的な成功者である主人公が、死の間際にオーダーするのにふさわしいものでは決してないのです。にもかかわらず、なぜそんな銘柄を取り上げたのか?

以降は犬助の推測になるので確証はないのですが……それらしい響きの銘柄=高級ワインと思い込んでいた、制作側の無知さの現れではないか?もしくは、観客の多くはジュブレ・シャンベルタンなど知らないはずだから、それを出しておけば勝手に高級ワインと思い込んでくれるのではないか、という制作側の思い上がりではなかったのか?と。

つまり、それだけ当時の日本は貧しかったということ。
高級とは何か?をまだ、知らない人たちが大半だったのがこの時代ということ。そして、そんな時代が続く80年代だったのではないか?と、思うのです。

 

「ハイソカー」で一部は満足したものの

高度成長を経て、バブルへ突入していった80年代は、金あまりという異様な状況に日本中が浮かれていた時代でした。そんなあまった金はどこへ向かったのか?もちろん土地であり株…そしてさらなるバブルを引き起こしつつ、崩壊と停滞の90年代へと向かっていくのです。

そんな中、あまった金の一部は当然、自動車にも向かいました。
トヨタなら「クラウン」や「マークⅡ」3兄弟、日産「セド・グロ」…これらの車種はハイソカーと呼ばれ、従来のファミリーカー然としたセダンに高級感を注入。大ヒットとなったのです。

そんなハイソカーの象徴といえば、1981年に登場したトヨタ「ソアラ」。
従来クーペにあったスポーティさに高級感とハイテク装備を注入し、六本木カローラと揶揄されたBMW3シリーズをしのぐ高いステイタス性を獲得。ツートンカラーのそのボディに、当時の女子はキャーキャーいったもの。まあ、ソアラはセダンではありませんが、80年代の高級日本車を表すエピソードの一つです。

 

困難を極めたフラッグシップ・セダンの開発

困難を極めたフラッグシップ・セダンの開発
そんなハイソカーにあった高級感を上回る自動車を。
バブル期に高まってゆく高級志向に応えるために、各メーカーが80年代末にリリースしたのがフラッグシップ・セダンである、トヨタ「セルシオ」やホンダ「レジェンド」、日産「シーマ」など。
開発陣は非常な苦労を重ねたといいますが、中でも困難だったのが「高級さ」を具現化するという課題だったとか。何しろ、つい最近まで聞き覚えのないワインの銘柄=高級と勘違いするような、低い文化レベルしか持たない80年代の日本人が「高級なセダン」を開発するのです。そしてターゲットとなるのは、これまた高級を知らない日本人だったのですから、想像以上に難しい作業だったことが理解できるのです。

例えば、ホンダ・レジェンドの開発も困難を極めました。
何しろホンダは高級車を手掛けたことがなかったメーカー、このためだけに海外メーカーと提携したり、高級家具で知られる天童木工に内装を依頼したりで、もう大変。開発スタッフに「高級」を理解させるために、有名ホテルに宿泊させたなどという、今となっては笑い話のような努力すらしたといいます。

 

高級とは何か?という、模索の結果としてのセダン

高級とは何かという、模索の結果としてのセダン
そんな中、日産・シーマを更に上回る「最高級車」として登場したのが日産「インフィニティ・Q45」。シーマより巨大なボディサイズ、4,500ccというトヨタ・センチュリーをも上回る破格の排気量、ハード的なスペックは当時の日産が考え得る高級さすべてをつぎ込みました。

しかし、それだけでは不十分と日産は考えたのでしょう。
彼らが次に模索したのは、内外装の高級化。フロントグリルレス、七宝焼のエンブレム、漆塗り+金蒔絵の内装……高級外車に肩を並べるものをと考えた日産は「ジャパン・オリジナル」をキャッチフレーズに日本文化を再解釈(曲解?)した、斬新としかいえない内外装をインフィニティ・Q45に与えたのでした。

そんな風に発売されたインフィニティ・Q45なのですが…やはりというか、残念ながら市場に受け入れられることなく終了。2代目からは社会現象と呼ばれるほどの好調な売れ行きを見せていたシーマに吸収、単なる兄弟車の位置づけに落ち着いてしまうことになります。

でもねえ…思うのですが、Q45でおこなわれたような高級への模索というのは、結実する・しないは別として、大いに現在の私たちの生活にプラスになっていると思うのです。

少なくとも今の私たちは、ジュブレ・シャンベルタンなる怪しい名前のワインに騙されない程度には「高級とは何か?」ということを理解する程度には成熟しました。それはQ45、いや80年代当時に、日本のあちこちでおこなわれてきた高級への模索があったからこそだと思うのです。その模索中に高級さの真髄のようなものをつかんだからこそ、現代日本の文化レベルがあると思うのです。

だからこそ、成功こそしませんでしたが…日産「インフィニティ・Q45」を80年代を彩った、セダンの代表と犬助は呼びたいと思うのです。

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アントニオ犬助
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みんなに嫌われるジジイを目指して、日々精進中!!
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