キューバのカストロ体制が終焉!カストロ兄弟って何者?

  • 2018/04/27
  • ビジネス
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  • 松村 昴
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キューバのカストロ体制が終焉へ

共和制を採っているキューバの国家元首が変わります。これにより、故フィデル・カストロ氏と弟のラウル・カストロ氏による、カストロ体制に終止符が打たれることになったのです。カストロ兄弟と言えば、キューバ革命やキューバ危機を乗り越えてきました。しかし、そんなカストロ兄弟についてよく知らないオヤジもいるのではないでしょうか。そこで今回は、キューバのカストロ兄弟について紹介していきたいと思います。

キューバのカストロ体制が終焉へ

 

そもそも、カストロ兄弟とは?

カストロ兄弟とは、故フィデル・カストロ氏と弟のラウル・カストロ氏のことを指しています。フィデル・カストロ氏は、1926年生まれであり、キューバ革命を成し遂げ、カストロ政権を成立させました。フィデル・カストロ氏は、キューバの国家元首として活動し、2011年に政界を引退して2016年に亡くなりました。弟のラウル・カストロ氏は、兄のフィデル・カストロ氏と共にキューバ革命を指導しています。フィデル・カストロ氏の後を継ぐ形で国家元首となり、カストロ体制を続けてきたのです。

 

カストロ兄弟とキューバ革命

カストロ兄弟は、どちらもキューバ革命の指導者です。キューバ革命とは、アメリカの傀儡となっているバティスタ政権を打倒するための革命です。しかし、カストロ兄弟らにより反乱は、一度失敗しています。モンカダ兵営を攻撃するも失敗に終わり、カストロ兄弟は逮捕され、裁判で懲役15年となっているのです。その後恩赦により釈放され、メキシコに亡命しています。

カストロ兄弟は再びキューバに戻り、バティスタ軍に対してゲリラ戦を行ったのです。バティスタ政権に不満を持っている民衆からの支持を集め、カストロ兄弟らは勢力を増していきます。そして、1958年にバティスタ政権を崩壊させ、キューバ革命を成し遂げたのです。

カストロ兄弟とキューバ革命

 

カストロ兄弟とキューバ危機

キューバ革命後、カストロ兄弟はキューバ危機を経験していますフィデル・カストロ氏は首相に就任し、キューバ共産党による一党独裁体制を敷いていました。そして、アメリカと友好関係を築こうとします。しかし、当時のアメリカ大統領・アイゼンハワー氏は門前払いされています。さらに、キューバで農地改革法を施行することで、アメリカが反発するのです。これは当時、アメリカ企業がキューバに広大な農地を保有していたからです。アメリカとの関係が冷え込む中、ラウル・カストロ氏(当時国防大臣)をモスクワに派遣し、当時のフルシチョフ首相と会談しています。こうして、ソビエト連邦と接近していったのです。

その後、アメリカはキューバを打倒するための計画を立てます。カストロ兄弟率いるキューバも対抗するため、ソビエト連邦から最新兵器を借ります。しかし、ソビエト連邦は最新兵器ではなく核ミサイルをキューバに配置しようとしたのです。しかし、アメリカの偵察機がキューバにあるミサイル基地を発見し、キューバ危機となったのです。核戦争が勃発する可能性が高まったキューバ危機ですが、結果的には回避されています。ソビエト連邦はミサイル基地の撤退の条件として、アメリカはキューバに侵攻しないことを約束しています。

カストロ兄弟とキューバ危機

 

フィデル・カストロからラウル・カストロへ

キューバ危機を乗り越えた後でも、カストロ兄弟は国民から高い支持を受けています。1976年には、フィデル・カストロ氏が国家評議会議長に就任して国家元首となっています。その後も国家元首として活動していくのだが、2006年になると体調を崩し、ラウル・カストロ氏に権限を委譲。2011年にフィデル・カストロ氏は政界から引退し、ラウル・カストロ氏が国家元首となったのです。しかし、ラウル・カストロ氏も現在86歳であり、引退を表明しています。これによって、キューバではキューバ革命以降のカストロ兄弟により体制が終焉を迎えようとしているのです。カストロ体制が終わり、どんなキューバになっていくのか注目していきたい。

この記事の作者

松村 昴
松村 昴
大学生時代からギャンブルを愛するフリーライター。 競艇・競馬・カジノがとくに大好き。 現在は全国24競艇場を旅しながら記事を執筆中。 趣味はアウトドアでキャンプやサイクリングで気分転換。
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