大晦日恒例の格闘技イベント中継、その始まりはいつから?

  • 2018/12/28
  • ライフスタイル・娯楽
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  • アントニオ犬助
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1950年代のゴールデンコンテンツ「ボクシング中継」

1950年代のゴールデンコンテンツ「ボクシング中継」
「今までのテレビ視聴率ランキング、1位は何でしょうか?」
こんな質問をされたならば、多くの人が「NHK紅白歌合戦」と答えることでしょう。何しろ現在も高い視聴率を誇るお化け番組、昭和のころは強さも格別で、1963年の「第14回」は、実に81.4%という数字をたたき出しています。
しかし、こんな紅白よりも高い視聴率を記録した番組があったことはご存知でしょうか。

それは「ボクシング中継」。
1955年、世界フライ級タイトルマッチ「白井義男対ペレス」は96.1%、1959年、世界フライ級タイトルマッチ「矢尾板貞雄対ペレス」は92.3%、同じ年の、世界フライ級タイトルマッチ「米倉健志対ペレス」は88.0%と、いずれも紅白の81.4%を上回る脅威の成績を残しています。

もっとも、ボクシング中継がこんな視聴率を稼いでいた1950年代は、視聴率調査が現在の形に改まる以前。ビデオリサーチ社(1962年設立)も存在しませんでしたから、それ以降の視聴率調査と、一概に比較することはできません。しかし、1960年前後のボクシング中継は大人気。それこそ、紅白歌合戦に打ち勝つことができるコンテンツだったのです。

 

1960年、対「紅白」に用意されたのもボクシング

これに目をつけたのが、先述の矢尾板貞雄戦や米倉健志戦を中継していたフジテレビ。紅白歌合戦にぶつけるべく、1962年の大晦日から3年連続でボクシングを中継、関光徳氏や海津文雄氏、小坂照男氏ら数々の人気ボクサーを登場させました。TBSも、1964年には大晦日のボクシング中継に乗り出します。しかし、大人気のボクシングといえども、紅白の牙城を崩すことはできなかったということです。

これが、大晦日の格闘イベントの始まりととらえることができるはず。紅白に勝る視聴率をかせぐなら格闘技、というアイデアの始まりといってよいでしょう。

 

「年末=格闘技イベント中継」は、アントニオ猪木氏から始まった

その後もお化け番組・紅白歌合戦を倒すべく、民放は大晦日に色々な手を繰り出したもの。
そして遂に、打倒紅白がかなったのは2003年のこと。TBSによる「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」、メーンイベントはあの「曙対ボブ・サップ」、この瞬間視聴率は最高で43.0%、平均視聴率でも19.5%だったといいますから驚くばかり。同時間帯に中継されていた、フジテレビの「PRIDE男祭り」も、平均で12.2%だったといいますから、こちらも大健闘。
これで、年末=格闘技イベントという風潮がすっかり定着したのでした。

このきっかけといえば、2000年の大晦日の「 INOKI BOM-BA-YE」の第1回興行。当時、格闘技団体「PRIDE」のプロデューサーだったアントニオ猪木氏がPRIDEと新日本プロレス、両方に声をかけることで開催されたイベントで「スカパー!」で生中継されました。

それが好評だったのでしょう「 INOKI BOM-BA-YE」は大晦日恒例のイベントとなり、第2回にはK-1の選手たちも参加、TBSがテレビ中継をおこない14.9%という上々の視聴率をあげましたから民放は大騒ぎ。大晦日にこぞって格闘技イベントを中継するようになったのですが、起こったのは過当競争。結果、共倒れになってしまったのはご存知の通りです。

 

今年の大晦日は井岡か、それともメイウェザーか!!

そして、今年の大晦日。
TBSでは「SASUKE2018&ボクシング世界タイトルマッチ」で、WBO世界スーパーライト級王座決定戦「井岡一翔対ドニー・ニエテス」が中継。フジテレビでは「RIZIN.14」で、エキシビジョンマッチながら「50戦無敗の男」メイウェザー対「キックボクシング界の神童」那須川天心を中継するといいますから、大晦日の格闘技イベントが再び熱い。
私、アントニオ犬助も、目玉がないといわれている紅白歌合戦よりも、格闘技に魅力を感じてしまうのです。

というよりも、気になるのは視聴率の結果でしょうか?いずれにせよ、チャンネルをどこに合わせるか、迷うような状況というのはうれしいものですね。

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アントニオ犬助
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みんなに嫌われるジジイを目指して、日々精進中!!
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