毎日使う紙ですが大きさにAとBがあるのはなんでなのか?

  • 2018/09/06
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B判からA判への流れ

B判からA判への流れ

ビジネスでも使っている汎用用紙のサイズにA判とB判とがあります。
現在、最も使用頻度の高い用紙サイズはA4ではないでしょうか。
これも時代の流れで変わってきていて、1980年代まではB5あるいはB4サイズが主流だったかのような記憶もあります。
なぜA4サイズが主流になって来たかのかですが、これはA判の規格が国際標準だからです。
日本も国際化の波に乗って会議の資料のサイズも海外で使われている規格に合わせようとして来たのがその経緯です。
これに対しB判は日本固有の規格なのです。
AとB、それぞれの規格はいかにして誕生して普及してきたのか、その流れから掘り下げてみましょう。

 

A判とB判の違い

A判とB判の違い

A判もB判も1929年に同時に制定された用紙規格です。
既に流通していた用紙規格には、四六判、菊判、新四六判などがありましたが、これらを現在のJIS(日本工業規格)にあたるものとして正式に制定したのです。
一応ではありますが、書籍であれば四六判、雑誌になると菊判などが使われていたのですが、それも曖昧なサイズだったりしていたので統一規格を打ち出したのです。
一言で言うならこれまでの用紙サイズを廃止することなく自然に移行できるような統一規格とするためにA判とB判との2本立てとなったのが、その歴史と言えるようです。

・A判は菊判から
A判は、19世紀末、ドイツの物理学者オズワルドが提唱した規格です。
縦、横の長さの比を√2:1として面積が1平方メートルとなる用紙をA0としたのです。
これを半分にした用紙がA1、さらに半分にするとA2と言うように半分にしていく毎に数字が増えます。
いずれもその縦横比は√2:1のままのバランスの良い形状となるのです。
この縦横比であれば用紙の裁断に無駄が無くなるため、黄金比として世界中で重宝されていったのです。
これに日本の菊判がちょうどA5サイズに近かったこともあり、A判が導入されたのです。

・B判は四六判から
B判は、日本独自の規格でルーツは和紙の名産地であった岐阜県の美濃紙で使われていた規格です。
この美濃紙は、徳川家康が重宝した和紙であることから全国に普及していったと言うのです。
縦、横の長さの比はA判と同じく何度、半分に切っても縦横の長さの比が√2:1のままになります。
日本でも早くから縦横の黄金比が利用されていたのです。
違うのはBOサイズの用紙面積が1.5平方メートルであることだけだったのです。
これに日本の四六判がちょうどはまるサイズができあがることから、これをB判として規格化したのです。

 

B判が廃れないのは

B判が廃れないのは

ところでA判が普及してくればB判は使われなくなっていても然るべきのようでもあります。
国際化は進む一方ですので、日本独特のB判などはあるだけで取り扱いが煩雑になるからです。
実際、学校時代に教科書やノートのサイズがバラバラでなんて面倒なんだろうと思ったことのある人もいるかもしれません。
ビジネス資料を整備するにも同じジャンルの資料なのにサイズの違うファイルに分類したりすれば、業務にも支障が出かねないはずです。
それでも書類と言うのは寿命の長いもので、以前からのB判の資料であっても現在でもそのまま利用されていることもあります。
それをわざわざA判に加工するほどの理由も無いものです。
文具やコピー機などの用紙を取り巻く環境も、A判にもB判にも対応しています。
A判とB判との微妙なサイズの違いのおかげで和洋折衷の良いところを活かし切れているのが現状になっているところでもあります。
こうして馴染みの用紙規格が消えてしまうような事態でもありませんし、これからもA判とB判とを使い分けていくことになるのでしょう。

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