女優の「赤木春恵」さんが亡くなった。しゅうとめ役が似合うその女優道を紹介
- 2018/12/09
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テレビのイメージとは異なる、赤木さんの人柄
11月29日に亡くなった女優の赤木春恵さんの告別式が、12月4日に営まれました。
出演したテレビや映画、舞台は実に230本以上、78年間に渡って活躍した大女優だけあって実に豪華な顔ぶれが参列されたと、ワイドショウでも大きく取り上げられていましたね。
そんな中、私、アントニオ犬助の印象に残ったのが、石井ふく子さんが代読した、脚本家・橋田壽賀子さんによる弔辞。
「優しい人柄、明るい笑顔、脳裏から消えません」
この一節を聞いて、私、アントニオ犬助は少々意外に思ったもの。
なぜなら赤木さんといえば「渡る世間は鬼ばかり」のしゅうとめの印象があまりにも強かったから。毎週毎週、泉ピン子さん演じる五月をいびる小島キミのイメージが、赤木さんと重なっていたから、犬助は赤木さんに「優しい」なんてイメージが持てなくなっていたからです。でも、人柄が慕われていなければ、あれほど大勢の人が告別式に詰め掛けるわけがない。
女優・赤木春恵さんの偉大さに、今さらながら気が付いたのでした。
人柄と異なる役を演じるという、大きな負担
橋田さんの弔辞にもあった通り、赤木さんは本来優しい人でした。
それだけに「渡鬼」の名物にもなっていた「いびってばっかりのしゅうとめ」役をこなすのは相当骨が折れたとか。例えば、意地悪なセリフがどうしても覚えられない。
女優人生でそんなことを経験したことがなかった赤木さんが医師に相談したところ、覚えられないのは心の奥底で意地悪なセリフを述べることを拒絶しているからではないか? といわれたとか。そこで不本意ながら赤木さんはカンペを用意して、収録を乗り切ったといいます。
そんな苦労を感じさせることなく、人柄と異なる意地悪なしゅうとめを演じきった赤木さんは、やはり大女優。多くの人たちに尊敬され、慕われるたのは、優しい人柄だけが理由だったわけではないのです。
大女優を育てたのは、数々の出会いだった
そんな赤木さんは常々「女優は私の人生そのもの」と発言していました。
この発言には、女優という仕事自体に魅力があるということと、女優のキャリアを積むことで出会えた人々に対する感謝ということ、2つの意味があったのです。
そんな彼女が、最大の出会いとしてあげていた人物が森繁久彌氏。1959年に「森繁劇団」に参加したことこそ、自身を女優として大成させたきっかけだったとか。
また「ソウルメイトのようなもの」と語る、森光子さんとの出会いも彼女の女優人生に欠くべからざるもの。互いに励ましあい、切磋琢磨したことでしょう。
他にも片岡千恵蔵氏など、彼女の人生を彩るのは錚々たる芸能界の面々。そんな環境にあったからこそ、赤木さんは女優人生を全うできたというものです。
校長先生役の方が、演じるのは楽だったはず
そして、赤木さんで忘れるわけにはいかないといえば「3年B組金八先生」の君塚校長役。赤木さんは劇中だけでなく、舞台裏でも大きな役割を果たしており、それに救われたというのは、「腐ったミカン」こと加藤優を演じた直江喜一氏。
加藤が放送室に立てこもるシーンが、語り継がれるものとなったのは「加藤優の思いを込めて、普通にやればいい」という赤木さんのアドバイスがあったからこそ。素の赤木さんの人柄をしのばせるエピソード。そんな直江氏は赤木さんのことを最後まで「校長先生」と呼び、赤木さんは直江氏のことを「優」と呼んだとか。
君塚校長の優しい役柄と赤木さんの人柄が近かったからこそ、こんな関係が成り立っていたに違いありませんし、「渡鬼」のしゅうとめ役よりも金八先生の校長役のほうが、演じやすかったことでしょう。優しい人柄の大女優、ご冥福をお祈りしたいと思います。