今聴いてもシビれる!日本が誇る本格ロックバンド「BOWWOW」
- 2018/08/03
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日本にだって最高のロックバンドがいる!
「洋楽のほうがスゴイ」「日本のロックはダサイ」と思っていませんか?
たしかに、長いロック史のなかで大成功を収めているのは、欧州と米国が中心で、流行の中心・発信地であり続けてきました。
では、結局日本のバンドは“なんちゃってロック”なのかというと、答えはNoでしょう。
あなたがもし、1976年にデビューを果たした日本のバンド「BOW WOW(バウワウ)」を知らないなら一度は聴いてみるべきですし、懐かしいと感じたオヤジは今でも通用するイカしたサウンドをもう一度味わってほしいです。
今回は、BOW WOWの歴史を紐解きながら、古き良き時代を懐かしんでいただけたらと思います!
「日本人にロックは無理だろ!」とされていた1970年代
誰が言い出したわけでもなく「日本人にロックは無理」という空気が漂っていた1970年代前半。
欧州・米国のロックバンドに対し、コンプレックスのようなものを抱いていたのかもしれません。
そういった時代背景も関係しているのか、当時流行っていたジャズ・フュージョン系に転向したハードロッカーもいます。
ですが一方で、ロックに並々ならぬ情熱を燃やし、日本、いや、世界で成功を収めようと、画策していたバンドもいました。
1970年に結成された沖縄のロックバンド「紫」は、沖縄版ディープパープルと評されるほどで、1973年デビューの「外道」は暴走族の人気を獲得しました。
1970年代中期には「カルメン・マキ&OZ」がロックアルバムとしては異例である10万枚以上のヒットを飛ばします。
そして、1977年にデビューした「LAZY」は、当時現役高校生だった高崎晃が在籍し、アイドルバンドながらも演奏技術の高さでロックファンを魅了しました。
後に高崎晃は「LOUDNESS」を結成し、世界進出へと歩みを進めていきます。
「売れるロックバンド構想」に合うメンバーを集めたのがBOW WOW
遡ること、1975年。
プロデューサーの上野義美が構想する「売れるバンド」に合うメンバーを集めて結成されたのが、BOW WOWです。
ボーカル兼ギタリストは、山本恭司。
山本はテクニックもさることながら、バラードの「泣きのギター」を得意とし、後にLOUDNESSの高崎と並んで「速弾きの高崎」そして「泣きの恭司」と評されていました。
同じくボーカル兼ギターの斉藤光浩は、アイドルロックバンド「DO.T.DOLL」解散後、BOW WOWの始動メンバーとして参加。
1983年に脱退するも、1998年の再結成にて合流を果たします。
1983年に加入したロックバンド「ARB」でも、ファンから一目置かれた存在でもありました。
始動メンバーであるドラムの新美俊宏も再結成のメンバーに加わりましたが、もう一人の始動メンバーであるベースの佐野は音楽業界から引退したため、合流は叶わず…。
BOW WOWは何度もメンバーチェンジを行っているので省略しますが、メンバーチェンジを経てもコアなロックファンに愛され続けている理由は、そのレベル高さにあるでしょう。
レコードデビュー前、NHK-FMの洋楽ロック専門番組である「ヤング・ジョッキー」で紹介された際には、曲をかけ終わるまで日本のバンドとは明かさず、全国のロックファンを驚かせたことがあります。
そして、バンド名を変えた「VOW WOW」の時代(1984年~1990年)では、元NOIZのボーカルである人見元基のパワフルな歌唱力に圧倒されたファンが続出。
万人にウケるような音楽性ではないものの、だからこそコアなファンを納得させる唯一無二の魅力がありました。
おすすめのアルバムはコレ!
・デビューアルバム「吼えろ!BOW WOW」
・バリバリのハードロックナンバーであるYou’re Mineを収録した「WARNING FROM STURDUST」
・VOW WOWをとことん堪能できるアルバム「SUPER BEST~ROCK ME FOREVER」
などなど、ファンならずとも聴いていただきたい、名盤・名曲がいっぱいあります!
現在、BOW WOW ・VOW WOWともに目立った活動はありませんが、これからも多くのロックファンを魅了し続けることでしょう。