腕時計を買うならば、爽快感と共に

  • 2017/07/14
  • ファッション
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  • アントニオ犬助
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腕時計投資家、ただいま活躍中

腕時計投資家、ただいま活躍中

「もう新品は買うな!」とか「ファッションを楽しみながら儲けを出す」とか……こんなタイトルの本を見つけたのです。何のことかというと腕時計。
内容は新品は中古となった時点で大きく価値は下がるもの、ならば初めから中古を購入しておけば、次に売却する際に価値はそれほど下がらない。とか、腕時計の中でも特定のものは、購入時よりも価値が上がるものがある。どうせ買うならば、そんなものを選んで身につけるのはいかがでしょう、とか。

これらの話は腕時計投資家なる肩書きで売出し中の方の本に書かれていること。
どこかで聞いた話だなと思った人……大正解!! 犬助が「ヤジアップ!」で主張してきたことと似ているのです。聞けばこの方、著書を出版する以外にも、多くの雑誌に連載を持っていたりでなかなかお忙しいご様子。

「うーんしまった、とっとと本にしてまとめておけば良かった」と思いつつも、この著者の方やっぱり今までの経歴に華がある。どっかの三文ライターとは大違いだったりするのですから、人間のウツワとかセルフプロデュース能力は大切ですね。

 

心の充足感は、それで得られるのか?

さてさて、物を購入する際に売却時、つまりリセールバリューを考慮するというのは、確かに大切なことではあるのです。そんな訳で中古のロレックスを購入するのは非常に良い選択なのですが……でも、大きな勘違いというか寂しさが、そこにはあります。

なぜ、人はモノを消費するか? というと、マズロー先生の例を引くまでもなく、まずは必要だから。次に満足するためだったりするのです。このスマホ全盛期に、なぜ必要でもない時間を知るための機械を買う必要があるかというと満足するため、心の充足感を得るためなのです。

心の充足感を得るためなのだから好きなものを買うというのが、まず正しい消費の仕方。そこにリセールなる考え方を入れるのは間違っていないのですが、消費の本質からずれてしまっている。勘違いというか、寂しさを伴う行為になってしまっているのです。

 

欲求のまま行動することこそ、消費の姿

欲求のまま行動することこそ、消費の姿

本来ならば消費という行動は、デカダン的、退廃的な行為です。その行為が回りまわって、経済を動かしてはいるのですが、消費自体は何も産まない。そのことが消費を魅力的にしていると思うのです。
にもかかわらず「これは、リセールバリューが高いから」という理由で中古のロレックスを購入するというのは実に寂しい。何も考えずに、好きだから買う!! これでいいじゃないですか。

 

消費行動=投資行動では寂しすぎるもの

消費行動=投資行動では寂しすぎるもの

同じく「ヤジアップ!」でフェラーリを購入することの是についても書いた覚えがあります。「お金持ちは消費行動が、結果として投資行動と類似してしまうから、お金持ちなんだ」という趣旨だったのですが、ポイントはこの「結果として」というところ。お金持ちの何も考えずに消費に励んでいる様子というのは、見るものに爽快感すら与えてくれるもの。それはそれは話を聞いているだけで楽しいものなのです。

しかし、消費行動と投資行動を意識して一致させようという、腕時計投資家なる方の行為には、傍目で見ていて一切の爽快感はありません。あるのは、一抹の寂しさなのです。
え? 犬助の文章からは妬みしか感じない? まあまあ、それはまた、それなのです。

この記事の作者

アントニオ犬助
アントニオ犬助
みんなに嫌われるジジイを目指して、日々精進中!!
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