国の産業を支えていた移民が無国籍に?何を今更なインドの移民排斥問題
- 2018/11/09
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不法滞在の外国人に対する取締りは先進国になる程、厳しい。
それはあくまで『滞在半年~数年』の就労ビザもしくは、就学ビザで入国したや、永住目的で結婚した人に対する取締りだ。
もしも半世紀近く普通に暮らし、働き、参政権もパスポートも持っているお隣の人が、ある日突然『国策』で国外追放されたなら。
インドのある州で実際にそんな事が起こっている。
ある日突然市民権を剥奪された人々
インド北東部・アッサム州は年間降水量が多い事から、英国統治時代から紅茶農園で栄え、ここで栽培される紅茶はアッサムティーとして高値で取引される。
アッサムティーの原料となる茶葉農園の現場を支えている半分の人がイスラム教徒だが、彼らの生活が脅かされている。
同州で’15年に始まった『本当のインド人』を認定しなおす国民登録により、登録申請した3000万人のうち、400万人がインド当局により市民権を剥奪される事となったのだ。
比率としては登録申請した人のうち7.5%になるが、’71年に起きたバングラデシュ独立戦争でパキスタンから流れ着いたイスラム教徒を排斥する為にやった国民登録である事は明らかだ。
不服申し立ての為に、役所の窓口を訪れた人たちは、’71年以前からここに住んでいるかどうかを証明する土地の権利書や配給カードの提示を求められたという。
彼、彼女らの大多数は農業に従事しており学校にも通えず、識字率も低いので役所から届いた文面も読む事が出来ない。
それでも彼らがインドの国民として今日まで生き延びる事が出来たのは、インドに流れ着いた時に、選挙管理委員会から配布された有権者の証明書だ。
これが彼らにとって『IDカード』の代わりであり、これでパスポートを取り旅行に行っている人もいるというのだから、日本でいえばゴールド免許並の役割を果たしている。
同じインドでもすでに国民登録が進んでいる所では、IDと銀行口座を結びつけるキャッシング『アーダールペイ』の利用が進んでいるというが、アッサムの農場では、そんな事はどこ吹く風だ。
アッサム州の紅茶農園の働き手は、英国統治時代からあり、戦後インドが英国から独立する際には、既に多くのイスラム教徒が住んでいたとされている。
戦後から住んでいたイスラム教徒の農場主で土地の権利を申請した人は、今回の国民登録でパスしているのだ。
ではなぜ今更インドのアッサム州は長い間、国の働き手であったイスラム教徒を排斥しようとしたのか。
独立戦争時に既に起こっていた排斥運動
長い間、紅茶農園の働き手として産業を支えてきたアッサム州のイスラム教徒は、’71年のバングラデシュ独立運動時に膨れ上がり、’70年代半ばにはイスラム教徒の有権者数が半分以上に増加。
アッサム州に住み続けていたヒンドゥー教徒の学生たちの間に不満が溜まり、全アッサム学生連盟(AASU)が発足。彼らは移民排斥に働きかけ、’83年にはアッサム中部ネリー村で暴動をおこし、2000人ものイスラム教徒の虐殺に乗り出した。
当時の与党・インド国民会議(INC)は、イスラム教徒移民に対し『産業を支える重要な働き手』と捉えていた為、イスラム教徒を排斥せず、AASUに対し、イスラム教徒の国民登録をいつか義務付けるとし、問題を先延ばしにしていた。
国民登録問題が再浮上したのは、INCが野党となりヒンドゥ教徒が占める人民党(BJR)が’14年に政権を握ってからだった。
党首アミット・シャーはアッサム州出身のヒンドゥ教徒で『移民はシロアリだ、徹底的に排除すべし』と国を挙げて移民排斥を訴えた。
それだけではなく、アッサム州出身のジャン・ゴゴイ最高裁判事がアッサム州の国民登録を法的に義務付けた事が決定打となってしまった。
バングラデシュでは、70万のロヒンギャ難民がいるが、その5倍の人数のイスラム難民は、今の政権のターゲットとされるのは間違いないだろう。
昔は紅茶がインドの基幹産業の一つだったが、今はそうではない。
そうした産業の変化も移民排斥運動の背景にはある。
人権団体アムネステイインターナショナルでは、今後、400万人にとどまらない、
もっと多くの人々がインドから流出し無国籍になるのではないかと予測している。