日本の社長に慶応卒が多いのは何故なのか?
- 2018/10/06
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日本を代表する大企業の社長の出身大学を、日経平均銘柄225社(’18年8月現在)から調査した所、1位は東大の36人、2位は慶應義塾の29人、3位に早稲田の21人、京大は4位の17人、一橋は12人となった。
これらの大学に共通する事柄といえば偏差値の高いエリート大という事だ。
ではなぜ日本企業の社長に東大と慶應出身が多いのか、またヘッドハンターが注目している10年後、20年後の社長になれる人材とはどの様なものなのか。
日本の企業は総合職
『若者はなぜ3年で辞めるのか』の著者で、人事コンサルタントの城 繁幸氏は、日本の企業は総合職カルチャーだと説く。
組織の中で、さまざまな仕事を経験しながら同期や同部門内の競争を勝ち抜いて経営幹部として育っていくのが一般的なキャリアパスだという。
出世の為に専門性よりもポテンシャル、地頭の良さ、コミュニケーション力が求められる。
慶応の場合『三田会』というOB会の人脈が、ビジネス取引に重要な役割を果たすので会社の垣根超えて人脈が出来るので出世につながるのだ。
ヘッドハンターは、大学だけでなく注目した人材の出身中学や高校にも目をつけている。
企業側のニーズが総合職から専門職に移り始めた今、ヘッドハンターは、将来の社長候補を、どの様な目で見抜くのだろうか。
あえて出身高校を聞く意味
『名門高校100』の著者である元毎日新聞記者の猪熊建夫氏は、40年以上前の記者時代から官僚や政治家、実業家にインタビューする度に、出身高校を聞いてきた話を一冊の本にまとめたという。
何故高校なのかと聞かれると、出身大学は、国公立以外の私立は学閥所属の大学となるが、
出身高校に関してはその人の郷里と結びつくからだという。
最も最近では高校選びから進学する大学が決まるので、小学校もしくは中学校から考え直さなければいけない時代になるかもしれない。
猪熊氏曰く、お勉強が出来る偏差値の高さにこだわるエリートというより、後の社会にどれだけ貢献したか、例えば五輪選手をどれだけ多く輩出したか、ノーベル賞候補や芸術家、小説家、政治家や、後の世を動かす発明をした人を輩出出来た高校を『名門』の基準としたという。
まさしく世界が日本に求めている『名門の基準』は、猪熊氏がこの本で書く名門の基準と同じなのだ。
猪熊氏は、各都道府県から少なくとも名門高校を一校は難なく選べたという事は、先進国でも日本が誇るべき事実だという。
他の先進国や急成長を遂げた国では、都心部に人材が集中し、地方に住む人々は識字率も低下し、新聞すら読めない人もいるからだ。
これは江戸時代に日本には270以上の藩があり、藩主が藩校を作り教養を積ませた
長年の下地があったからだという。
それが都心部に教養や大学が一極集中してしまっては、もったいないと猪熊氏は説いているのだ。
現在の大会社の社長の平均年齢は62.7歳。
彼らの出身校が、東大、京大、その他私立学閥系というだけで、彼らの子供世代は必至になって学閥系の私立や国公立を目指す。
だが10年~20年もすれが、社長になる人材は確実に、今とは変わってくる。
そうなれば出身大学よりも高校や人脈が重視される時代になるかもしれないのだ。
それでは企業の人事部が10年~20年先に社長にする人材として目をつけている大学は、どの様な所だろうか。
これからの社長を産むのはグローバル大学
今、企業の採用で最も勢いがあるのは、授業はオールイングリッシュ、外国籍の教員や学生も多く、世界各国から留学生を受け入れているグローバルな大学だ。
秋田の国際教養大学や大分の立命館アジア太平洋大学がこれにあたる。
もはやキャンパスを東京に構える必要はない。
世界のトップエリートらは、ハーバードで寮が一緒だった、プリンストンの同級生だったという繋がりで信頼関係を築いているが、日本はその輪に入り切れていないのが現状だ。
国内の大学の人脈しか活用できないのであれば、20年後の大企業の組織内では課長どまりになるだろう。
現在の日本国内の社長の出身校やCEO、役員の出身高校や大学を考えると、海外の高校、
大学の出身者は異端児扱いを受けるかもしれない。
それは一部の帰国子女が、入社先の会社に、外国の手法を無理やり日本に押し付けようとした弊害だ。
社長になれる人材は、海外で学んだ経験を活かしながら、日本のやり方も踏襲し、巧くすり合わせていける地頭の良さが求められる。
これは交渉力、コミュニケーション力、洞察力の三つが求められるのだ。
昭和の時代、社長になる人材に求められたのは、国公立もしくは学閥系の私立を高い偏差値で突破し、出身大学の人脈を生かし、社内での地位をあげつつ、すべての業務を総合的にソツなくこなしていく人が社長になれた。
だが平成も終わろうとしている現在は違うだろう。
学閥が意味をなさなくなり、一社もしくは単一業界で働いていた人よりも複数の業界を渡り開いたり、海外で職務経験を積んだ人が実績があるとみなされる時代になる。
実際に、ローソンの元社長・玉塚氏は、昭和の社長とこれから求められる社長像の『過渡期』と言える人物だろう。
曽祖父は新日本証券の前身である玉塚證券の創業者、父は東京証券取引所の理事長、自らは幼稚園から大学まで慶応ボーイという玉塚氏は、慶応ボーイにありがちな『キラキラ人生』を選ばなかった。
旭硝子に入社後、シンガポール支社に転勤し、社費でMBAを所得。その後
ラップトップが庶民に出回った頃の’98年に日本IBMに転職したが、わずか4か月でファーストリティングに転職し、7年後に企業再生会社『リヴァンプ』の共同代表に。
’10年に新浪氏の誘いを受けローソン顧問に就任と、チャレンジを受けて立つ、ラガーマン精神で立ち向かっている。
玉塚氏と同年代の会社員の人の大半はバブル世代。
転職をしたことがないという銀行員や公務員もいるかもしれない。
彼はその全く反対を行き、これからの世代がなるべき『社長の見本』をみせたのだと思う。