変態紳士を認めることこそ、世界平和への道
- 2017/03/24
- モテ
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ワキフェチという世界
秋から冬にかけて段々と元気がなくなる、なんだか昆虫の話のようですがこれは、私の古い友人の話。
彼は別に変温動物というわけでもなく恒温動物、生物学上にもう少し細かく分類すると立派な人間なのですが、どうも秋から冬にかけては元気がない。
なぜかと聞くと、吊革につかまった女性のワキの下を見る機会がなくなるからだそうで……。
じゃあ、ノースリーブなんてたまらないだろ? 嫁さんに着せればいいじゃないか。
と、至極当然のことをたずねた所、
「何とまあ、お前は物の情緒を理解しないのだ!」と、ひどく怒られました。
なかなか奥深い、ワキの世界
聞けば、奥さんや同じ職場の女子のような日常的に接している異性ではなく、全く知らない女性だからいいのであるとか。
そして、ノースリーブではなく、ハーフスリーブからチラリと見えるワキの下が至高なのだ。
ノースリーブを着用する女性は、当然ながらワキの処理をきっちりとおこなうもの、そんなものを見ても面白くもなんともない。
ハーフスリーブを着用するからこそのガードの甘さが良いのだし、それが垣間見える瞬間がたまらないのだというのです。
ちょっと手入れが甘くなっている、こんな様子がたまらないのだそうで……。
画面を通してはいけないのだそうです
さて、世の中には様々なフェチが存在することはご存知の通りで、案の定、脇の下の写真を集めたサイトなども存在するのです。
そこで友人にそのことを伝えると、「そんなことは当然知っている。そして、そんなサイトなんぞ、全く興味の対象外である」と、またもや怒られてしまいました。
ワキは触れられない距離にあるナマじゃないと、意味がない。
モニター越しに見るワキなんぞ、全く趣きがないのだそうです。
誰もが実は同じだと気付くこと
彼の趣味を一種のフェティシズムだと片付けてしまうのは簡単ですし、当然、片付ける以外に方法はありません。
そして、電車で見ず知らずの女性の脇の下を凝視している彼は、他人に迷惑をかけているわけでもないですし、法に触れているわけでもないですから、誰に非難される筋合いもないのです。
しかし、当人も自覚している通り充分変態、そしてベクトルが少し変わっただけで塀の向こう送りになる危険性も秘めています。
そして、誰もが大なり小なり、何らかのフェティシズムを抱えて生きています。
ベクトルが少し変わると危険というフェチならばカワイイもの。
中には、露見した時点でお縄を頂戴せざるを得ないという危険なフェチを抱えて生きている人もいるでしょう。
考えてみれば、誰もが変態なのです。
他人の変態性を思いやるということ
「誰もが、自身の変態性を包み隠しながら生きている」、この感覚は非常に貴重なものです。
例えばテレビでご高説を垂れている先生も変態ならば、電車でたまたま隣の席に座った紳士も変態なのです。
つまり、自身にある変態性を自覚し、他人も持っているであろう変態性に思いを馳せる。
このことは優しさにつながるような気がしませんか? 相手を思いやる心とは、他人の変態性を理解することと同義。
変態性を認め合うところに本当の相互理解が生まれ、平和な世の中が訪れる気がするのですが、いかがでしょうか?