司馬遼太郎の名作『関ヶ原』の映画を見たいけど、関ヶ原の戦いってよくわからないという方へ
- 2017/04/30
- ライフスタイル・娯楽
- 520view
- 教養/知識
- 司馬遼太郎
- 日本
- 映画
- 歴史
- 芸能人
- 著名人
あの大作が名監督と名優によって映画化です
歴史作家・司馬遼太郎の代表作『関ヶ原』の映画化作品、「関ヶ原」が今年8月26日に公開予定です。
文庫本3冊になる大作の映像化に挑む監督は、原田眞人さんです。第二次世界大戦の終戦日を描いた「日本のいちばん長い日」や江戸時代の縁切寺を舞台にした「駆込み女と駆出し男」などの時代物を手掛けており、「関ヶ原」の出来栄えにも期待がふくらみますね。
もちろん、キャストも豪華です。西軍の大将・石田三成役は、歴史好きで有名な岡田准一さん。東軍の大将・徳川家康役は、原田作品でおなじみの役所広司さん。さらに、ヒロイン・初芽役には歴史作品初出演の有村架純さんと、ビッグネームが並びます。
封切が楽しみですが、「関ヶ原の戦いって教科書で見たけどよくわからない……」という方も多いのではないでしょうか。そんな方のために関ヶ原の戦いの基本的なポイントをお伝えします。
関ヶ原の戦いは誰と誰がどうして戦ったのか?
関ヶ原の戦いは戦国時代末期の1600年9月15日(旧暦)に行われた合戦で、石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍が美濃の関ヶ原(現在の岐阜県不破郡関ヶ原町)で戦い、家康方東軍が勝利しました。
ではなぜ三成と家康は戦ったのでしょうか。その直接的な原因は、合戦の2年前に天下人・豊臣秀吉が死去したことにあります。
このとき秀吉の後継者・秀頼はわずか6歳の子どもでした。この事態を前にして、秀吉の家臣だった三成と家康はまったく違う反応をします。三成は自分を登用してくれた秀吉に恩を返すため、秀頼を補佐して豊臣家の天下を続けようと考えました。対する家康は秀頼が何もできないうちに天下を奪って、自分の政権を築こうと考えました。このため三成と家康は対立し、関ヶ原の戦いが起きたのです。
関ヶ原の戦いはよく「天下分け目」といわれるように、時代の大きな分岐点です。しかし勝ったほうが天下を取る戦いではなく、天下を狙っていたのは家康で、三成は豊臣家の天下を守ろうとしたのです。
三成に着せられた「逆臣」の汚名を晴らした『関ヶ原』
歴史は多くの場合、勝者側から語られます。このため、敗者は一方的に悪人とされます。日本史の悪役としてよく知られる平清盛は、源氏に敗れた平氏のリーダーだったので悪人にされただけで、実像はグローバルな視点を持つ優れた政治家でした。
関ヶ原の戦いに敗れて処刑された三成も、長年に渡って「天下を乱した逆臣」とされてきました。そんな三成の忠義心を描いて新たな三成像を示した小説が『関ヶ原』なのです。
物語の後半で、逃走中の三成は大義や理想のために戦うのは馬鹿げたことなのかと苦悩します。しかし、自分の生き方は間違っていないと心を固め、最期の瞬間まで毅然とした態度を貫きました。
もちろん、家康にしても私利私欲のために天下を狙ったわけではありません。家康は自分こそが戦いのない時代を築けると考えていたのです。実際、家康が開いた江戸幕府は約300年も天下泰平を保ちました。
戦いにはいつもそれぞれの正義があり、それは関ヶ原の戦いも同様だったのです。