つながる?好かれる?寄ってくる?龍神さまってナンやねん!

  • 2018/09/18
  • ライフスタイル・娯楽
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  • のりき 夢丸
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このところ妙に耳にする不思議なキーワード

このところ妙に耳にする不思議なキーワード

最初に言っておくとオジサンはその方向には一切興味がない人で、年に1回の初詣だけが楽しみのお気楽世捨て人なのだが、最近そんなオジサンの暮らしになにかと入り込んで、深層心理に訴えるようになった「お方」がいる。

それこそが「龍神(りゅうじん)」なんである。

最初はWeb経済誌にあった「龍神さまに好かれる人の話」を目にし、次に病院の待合室で読んだ週刊誌で「龍神特集」が組まれ、挙げ句の果てには毎週愛読しているスポーツ紙の占い担当が「龍神さま」の本を出しやがったとか…。

こっちは普段の生活を何も変化させていないのに、りゅーじんの方からズカズカと人の敷地に入り込んでくるのだ。

ということは、いま世間全般に「やれ龍神、それ龍神」と唱える人が多くなったということじゃないか?
そう思ったオジサンは、そもそも龍神ってなんなのよという問いを胸に、探索の旅に出たのだった。

 

龍神ってあの竜のこと?

龍神ってあの竜のこと?

オジサンは昔、神社仏閣の記事を2年にわたって死ぬほど書いた経験があり、日本に古来から祀られている神にはとても多くの種類があることだけは知っている。

でも「龍」を信仰対象として祀っていますよ、という神社はそう多くないはずだ。
名前に「龍」「竜」がつく、あるいは「たつ」と読ませる神社などを合わせても、有名なものは数えるほどではないだろうか。

そもそも神社におわす「動物たち」は、信仰の対象ではなくどっちかというと「橋渡し役」であることの方が多い。
神さまの啓示を下々にわかりやすく伝える役目を持ち、必要なときだけ姿を変えて降りてこられる、そういう伝説なら各地にあったことを覚えている。

だから龍に遭いたい、と願うのはちょっと信仰の方向がズレていて、突然目の前に「伝達役」があのド迫力でどーんと現れられても困っちゃうはずなのだ。

なぜキツネでも猿でもカラスでもなくお使いが龍なのか、それをもっと考えた方がよい気がするけど。

 

龍そのものの姿はない、とする方多数あり

龍そのものの姿はない、とする方多数あり

龍神さまを崇める人々にとっても、龍そのものに特別な思い入れがあるわけではないらしい。
一番多い意見?が「意志はあるけれど姿がない存在」とするもので、これは実際の神社という存在と相容れるものがある。

ただ龍ではなく龍神はその名に神が付くことからも、人間と交流する中ではもっとも高貴な橋渡しであり、その方が自分に向いてくれたら「これは何かがある」と思うし、気分もすこぶる良いのだろうか。

でもこの龍神を自由自在に操る、という話はちょっと欲の皮が突っ張った人間の態度で、こうすれば心に龍神さまが宿る、龍神さまが見える、といった類いだけは、いかにも現代風なスピリチュアル強すぎの「腕力型信仰」と捉えておきたい。

そんなことをせずとも、ちょっと嬉しい話があるんですってば。

 

おお、雨男こそ自然界最高の栄誉だったとは!

おお、雨男こそ自然界最高の栄誉だったとは!

調べるうちになんと「雨男雨女は龍神に選ばれし最高の栄誉」であると発する人がいて、これにはちょっとビビった。

かくいうオジサンなど、大事な日であればあるほど雨の確率が上がる親せき中でも超有名な雨男。おふくろに「オマエは法事にくるな」と言われたこともあるくらいの筋金入り。
小学校の入学式に真っ白のドカ雪(伝説)を降らせたのも、後で考えればオレが原因だったかも…というレベル。

…だけど実はこれこそ龍神(あるいはその他のお使い)がついている証なのだとか。

有史以前から人間にとって「雨が降るか降らないか」は死活問題であり、古今東西、好機に雨を呼び込んでスターダムにのし上がった英雄は数知れず。
雨を呼ぶ=自然界とのコンタクトが取れる、であり、周りからパワーがある人物と捉えられても不思議はなかろう(えっへん)。

でもオレ、一度も降り方を調節できた記憶ないけど…。

ともあれ、龍神はその形を自由に変えて私たちに語りかける語り部なのであり、決して運命を切り開く当事者ではないことに留意して、お付き合い願いたい。

この記事の作者

のりき 夢丸
のりき 夢丸
馬と日本酒と時代劇をこよなく愛するフリーライター。 モットーは「人の行く裏に道あり花の山」。 最近はドローンに興味津々の毎日。 競馬血統ブログ「ほぼ毎週競馬ナビ」にて執筆中。
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