成功につながる仕事への心構えを知りたいビジネスマンに捧げる、近代日本政治のプランナー・大久保利通の名言3選
- 2018/05/05
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権力を手にしてもまっすぐな政治を忘れなかった大久保利通
近代日本の幕開けである明治維新で活躍した、維新三傑のひとりが大久保利通です。このほかの三傑は西郷隆盛と木戸孝允。歴史の授業で習った記憶がある方も多いでしょう。
利通と隆盛は同じ薩摩藩(現在の鹿児島県)出身で、子どもの頃からの親友同士でした。誰にでも気さくに接する隆盛に対し、クールな利通は近寄りがたい雰囲気をまとっていたといわれ、いわゆる「でこぼこコンビ」だったようです。現在放送中のNHK大河ドラマ「西郷どん」でも、鈴木亮平さんが演じる主人公・隆盛が元気で明るい熱血漢であるのに対し、瑛太さんが演じる利通は思慮深く落ち着いた人物として対照的に描かれています。
しかしもちろん、利通も心の内には「日本をよくしたい」、「日本国民の生活を豊かにしたい」という熱い思いを抱いていました。維新後に実質の首相にあたる内務卿に就任すると、誰もが平等に暮らせる世の中の実現に全身全霊を捧げます。権力に溺れて私腹を肥やすようなことはなく、むしろ死後には不足した公費を埋めるための借金が現在の金額に換算して2億円以上あったといわれます。
このような情熱は現代のビジネスマンも見習いたいところですが、モチベーションを保つのが大変なのも事実。利通はどんな姿勢で仕事と向き合って、近代日本政治の基礎を築いたのでしょうか。その志がわかる名言を3つご紹介します。
篤と熟考今日のままにして瓦解せんよりは、寧ろ大英断に出て瓦解いたしたらん
「じっくりと考えて今日と同じまま崩壊するよりは、むしろ思い切った決断に出て崩壊しよう」という意味です。利通の日記に書かれた名言なので、誰かに語ったわけではなく、自分自身に言い聞かせています。
この時期、明治政府は今までの藩制度を廃止して新しく府県制度に変える廃藩置県を実施するか否かで揺れていました。「急に行政区分を変えると強い反発が起きる」と心配する政治家が多かったのです。しかし利通は、廃藩置県を実施しなければ新時代の政治が実現できないと考え、思い切ってゴーサインを出します。結果として恐れたほどの反対活動は起こらず、府県制度は利通のプラン通りに受け入れられました。
誰でも失敗は恐ろしいものです。しかし現状維持で発展が見込めないなら、思い切った作戦を取る価値はあるでしょう。このような英断が大きなプロジェクトの成功を導くのです。
維新の盛意を貫徹せんには三十年を期するの素志なり
「維新の精神を貫き通すには30年必要だと常日頃から思っている」という意味で、明治11年5月14日早朝の発言です。このあとに「明治元年から10年は戦争が多い創業の時期だった、明治11年から20年は政治を整えて産業を立ち上げる建設の時期にしたい、明治21年から30年は後進に道を譲って発展を待つ時期だ」と続きます。また、「建設の時期」まで内務卿を務めたいとも言っています。
利通はこのような長期的ビジョンを普段から思い描いていたのです。だからこそ、そのときごとに必要な政策と実現プランを考え出せたといえるでしょう。
しかし、利通のビジョンは道半ばで途絶えました。実はこの発言をした同日の出勤途中に利通は暗殺されてしまったのです。そして、この名言が遺言として伝わりました。犯人は新しい政府と利通の政治に不満を持つ、かつての武士たち。誰もが平等になって、武士が特権階級ではなくなったことを恨んでいました。利通も多くの恨みを買っていることはわかっていたはずですが、それでも無念の最期だったでしょう。
堅忍不抜
「なにがあろうとも心を動かさず我慢強く耐え忍ぶ」という意味で、利通が座右の銘としていた言葉です。中国北宋の政治家で詩人でもある蘇軾(そしょく)が、中国前漢の政治家である晁錯(ちょうそ)を論じた「晁錯論」に登場します。
この四字熟語こそ、利通がなすべきことに向かい合うときの心構えをよく表現しているといえるでしょう。特に社会の仕組みがそれまでの時代からがらりと変わった明治維新以降は、利通を暗殺した武士たちのように、利通の政治に不平不満を抱く人が多くいました。しかし利通は決してぶれることなく、非難されても耐え忍んで大改革を行ったのです。それが現在の、身分制度がない現代日本につながっています。
現代のビジネスマンも堅忍不抜の精神でやり遂げたい仕事と向き合うことが、成功への道を切り開くでしょう。
名言の引用元:大久保利通日記・済世遺言・晁錯論