サッカーは日本人が得意なスポーツなのか
- 2018/05/02
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これほどピッチの内外で温度差のあるスポーツも珍しい
友人は熱狂的なサッカーファンで、ワールドカップの直前に飲みに行けば、決まって日本代表の予選通過の可能性について「激論」してくれる。
「何勝何敗で通過すると思う?」
「いいとこ1分け2敗で敗退、だろ?」
「何を言ってるんだ! 2勝1敗でグループ通過に決まってるじゃないか!初戦は勝って2戦目は…」
そしてワールドカップ当日のパブリックビューイングにもかけつけ、敗退の様子を最後まで熱心に応援するのがいつものスタイルだ。
正直、あの熱量はどこからくるんだ、と思う。
そして、彼が心から喜ぶ結果がいつか来ないものかと願う。
あくまでこっちのオジサンは、雰囲気を楽しむだけ楽しんで、頭はずっと冷静ですけど。
サッカーは外国の人に教わるスポーツに見える
さて最近も解任された前監督が日本にわざわざやってきて、マスコミにあれこれ放言しているらしいが、サッカーの素人があの騒動について突っつくのはチャンチャラおかしいから、
▼そもそも、日本人はサッカーが得意なのか
についてだけ、考えておきたい。
なでしこジャパンの活躍と世界一までの物語は、確かに日本サッカー史に残る偉業だ。
しかしあれと男子サッカーを比較できないことは、ファンなら誰しもわかっている。
女子と男子の置かれた歴史的位置があまりにも違いすぎるからだ。
男子サッカーは諸外国リーグのプレイを見れば、しょせん目からうろこが落ちるレベル差。
だから素質ある選手が海の向こうへ渡ることも野球以上に理解できる。
つまり、サッカーって基本的に外国人に教えを請うべきスポーツなのでは、といつも思うのだ。
いまできることを教えてくれる監督がいいんじゃない?
ワールドカップで対戦する国はいつも自分たちより格上なのだから、格下は格下なりの戦い方をしないといけない。
格上の「まねごと」では、いつまでも本家本元には勝てないというわけだ。
過去、日本代表にかなりいい効果(成績はともかく)を及ぼした外国人監督は、誰と誰と挙げるよりも、
▼おしなべて日本人をよく理解していた人
といえるだろう。
日本人には体格がないこと、猛獣のような闘争心までは湧かないこと、けれど集団になれば結束力があること、などを理解した上で、あらん限りの勝つ工夫をしてくれた監督なら、チームをうまく導けていた。
その反対に「ネームバリュー」や「オレ色に染まれ」のカリスマ性を用いたクラッシャータイプの監督とは、そりが合わないことが多かったと思う。
サッカーの歴史が長い強豪国なら、これもカンフル剤として効くだろうが、日本はそうじゃない。
まずサッカーってなんなのかを教えられる人、一度も頂点に達したことのないアジアの小国チームにカツじゃなく、知恵を授けられる「知識人」でないとイケない気がする。
ただの努力ではなく「正しい継続」がキーワードに
今回の監督解任後、実は日本代表に最大のチャンスが訪れていたかもしれない。
それは
▼この際、WCロシア大会はあくまで次へのステップと捉え、じっくり優秀な外国人監督を招へいする1%の可能性
があったんじゃないかという点だ。
監督を換えれば「今なら間に合う」とか「選手は団結せよ」とかいう論調があるのは百も承知だが、プロスポーツの世界でこんな付け焼き刃は哀しいほどに通用しない。
であれば、今度もまた恥を忍んで外国人監督、しかもどんなに無名であってもいいから「育成能力の高い」サプライズ監督を用意しても良かったのでは、と思えてならない。
名門クラブチームの2軍監督でも良し、日本と同等の戦力で予選をうまく戦っていた敗退国の元代表監督でもいい。
期待値ゼロ、プレッシャーがないぶん大化けし、ひょうたんから駒、そのあとも代表をよろしく…という展開もあったのでは…。
日本人はサッカーが得意ではない。
だから、将来決勝トーナメントで1勝を挙げるために必要なのは、何も成していないうちに何かを「変革」することでも「次のステージ」へ向かうことでもない。
本当に正しいサッカー基礎知識を将来にわたってコツコツ積み上げる作業と、それを導く「理解型」外国人監督が必要なのだ。