平成30年は、他者には無関心な時代だった?
- 2019/04/10
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新元号・令和が発表され、平成も残すところ数週になった。
このサイトの読者層は、昭和生まれで、昭和から平成に元号が変わる時の様に、緊迫感がないのに違和感を感じている人も居るだろう。
全く戦争をしなかった30年である事が誇りだったのに対し、平成は『失われた時代』と言われ、国民の思考も内向きになり、その結果、国民総生産や経済成長率は、他国に次々と追い抜かれる事になった。
この30年、昭和と違い、何が原因で日本は失われた30年になったのか。
度重なる不況以外にもある原因を振り返ってみる事にした。
他者に対する無関心を生み出した30年
昭和と平成で大きく違うのは、度重なる不況があったと同時に、表面上がつながっていても、裏では他者に対する無関心が、はびこっていた事だ。
平成に入ってから売れ出したのが、ビジネス書、各種ノウハウ書、資格所得書の三種だった。
これらの本は、いかに要領よく全ての事柄をこなすか、順を追って説明書きが書かれていて、これら『マニュアル本三種の神器』の手順を守らない人は『変わってる』と社会がはじく傾向にあったと私は思う。
平成シングル~中盤にかけてよく売れたのが人間関係ハウツー本だ。
これらには、共通の仕事、趣味を通じて人脈を作ればいいと書いてあるが、そうして作った人脈のうち、人生観までシェア出来るのは、50人中、1人2人見つかれば良い方で、付きあう人脈や趣味、仕事を間違うと、利害関係でつながる人間ばかりになってしまう。
携帯電話やパソコンが、ビジネスマンのツールとしてだけでなく、専業主婦や子供、高齢者にまで広まってから一層この傾向強まった。
ビジネスマンは、仕事柄様々な人々と毎日会い、同じ仕事をしていても考えの違う上司部下の意見を頭の中で咀嚼し、考えながら生きていかなくてはいけない。
ところが『お友達とつながる目的』で携帯電話やパソコンを購入した貴方の奥さんや、子供はどうだろうか。
『そこまで無理して人とつながる必要がない』と最初から思ってSNSに参加しているので、気にくわない相手がいればミュート、ブロック、LINEのグループ外しも平然とやる。
これらは趣味や人生観が合わない人と無理して付き合う必要はないという無関心を、ネットの暴力という形で押し付けたものだ。
平成の功罪といえば、武器を持って戦争はしなかったが、ネット上で自分と意見の合わない他人を傷つけあう時代だったのでは、と私は思っている。
この様なネットが生み出す、平成の人の心の表裏を現した小説がある、それは何だろうか。
表面上取り繕った人間関係が崩れる様を描いた秀作
日本でいえば、平成生まれの朝井リョウの小説は、平成を生きる人たちを象徴していたのではと思う。
『桐島、部活やめるってよ』では、バレーボール部のキャプテンの桐島が部活を辞める事で、彼と表面的に人間関係があった5人の同級生の人生の歯車が、それぞれ狂いだすというものだ。
小説の中に、桐島は出てこない。
が、彼を取り巻く人間が、桐島という存在に人間関係を依存していた事が浮き彫りになる。
組織や人間関係を『特別な誰かに依存しなければいけなかった』という構図は、日産におけるカルロス・ゴーンと同じだ。
本田やトヨタと違い、戦後財閥解体で創業者が早々に去った日産は、組織のアイコンともいうべきトップに欠けていた。
そこに現れたカルロス・ゴーンに依存する形となったものの内部でのくすぶりは収まらず、平成の終わりに逮捕されたのが、いい例だ。
最年少直木賞受賞となった『何者』では、全員で同じ時に就職内定を貰おうねとツイッターで約束していた大学生たちが登場人物だ。
その中で、物事を俯瞰的に見つめ『これって何かが間違っている』と気付いた主人公は、そこに参加する皆が、表面上の人間関係を取り繕い、本音を話そうにも話せない、恨みつらみがある事を知る。
『朝まで生テレビ!』の様に、昭和の終わりから続く長寿討論番組もあるが、パネラーを見ると、若い世代が積極的に参加していると思えない。
毎回同じ様な顔ぶれなので、人生観や価値観が違う相手とガチンコ討論対決をしつつ、最後の最後に相手の言い分を理解しようという姿勢を持とうという人が減っている証拠でもある。
気にくわなければミュート、ブロック、見なかった事にするのは簡単だ。
が、それを国民が続けた30年が、日本の不況だとすれば、問題意識から逃げている事になる。
お隣韓国が、この問題を痛烈に皮肉り描いた映画が『ある会社員』だ。
ヒョンド(ソ・ジソプ)は歌手になる夢に挫折し、今は表面上は、やる気なしの商社だが裏の顔は、殺人請負業者の腕利きの殺し屋として働く。
周りの同僚たちは彼を尊敬しているが、10年も自分の心を偽り続けた彼の心は荒みきり、ついに彼は組織を裏切り、組織の人間を皆殺しにしてしまうというものだ。
彼が歌手になりたいという夢を理解していたのは、新人フン(キム・ドンジュン)と社長だけで、他の者は『殺し屋』としてのヒョンドを評価していただけだった。
他者への真の共感をえぐった秀作だったと思う。
では令和を迎えるにあたって、失われた平成30年間をとりもどすには、どうすればよいだろうか。
他者への正しき洞察力と深い共感性が新しい時代生き残る秘訣
今の小学校の子供たちは、親が就いた事がない職種に就くと言われている。
実際に私の職種も、私が小学校の時にはなかった職業なのだから、道理にかなっているだろう。
整備士などの機械系専門職は残るだろうが、フィットネスインストラクターなど体を張ってやる仕事は市場が飽和状態で、先細りするだろう。
そうした時代に必要なのが、他の職業、自分とは違う人生観を持つ人への心からの共感だ。
平成は『上っ面だけ合わせていればいい』という人々がネット上で蔓延していた。
その結果を象徴したのが、朝井リョウの小説であり、カルロス・ゴーンの退職劇だと思う。
自分と違った事をやる人に対する洞察力を働かせなければ、新たな可能性は生み出せない。
平成の間同じ業界に居続けた人や、同じ考えを持つ人に囲まれて仕事をしてきた人にとって令和はもしかすると辛い時代になるかもしれないが、他者への共感性と洞察力が必要とされる時代では、と私は思う。