新年号が4月1日に発表されるが早く発表される理由とは!

  • 2019/01/23
  • ライフスタイル・娯楽
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意外にスムーズだった、昭和から平成への移行

意外にスムーズだった、昭和から平成への移行
「安久(あんきゅう)」「感永(かんえい)」「建和(けんわ)」「弘徳(こうとく)」
色々と新元号が予想されています。今だ日本人の生活と深い関わりを持つ和暦、それだけに多くの人が関心を持っているということでしょう。そんな新元号が発表されるのは4月1日。1カ月の間を置いて、5月1日に新天皇がご即位、改元というスケジュールになっているといいます。
しかし思い返してみると、平成の始まりは非常に慌ただしかったもの。昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御、今上天皇が即位、元号が発表、改元され、翌1月8日から平成元年がスタートしたというものでした。

よくぞ、そんな急に改元がおこなわれたものだと思いますが、混乱は予想外に小さかったもの。コンピュータ業界なら和暦から西暦に変換するシステムを更新したり、印刷業界なら昭和のカレンダーを平成で刷りなおしたり。特定の現場では修羅場だったかとは思うのですが、社会的な混乱はほとんどなかったように記憶しています。
ならば今回の改元も、発表から1カ月も間を置くのではなく、平成同様に即日で良いじゃないかと、思いませんか?

 

そもそも改元とは、突然におこなわれるものなのだ

改元とは本来、天皇が崩御されない限り起こることのないものです。
それだけに、突然にというのが常。さもなければ天皇の崩御が、あらかじめ予想されていたということになりますし、ずっと待たれていたことになりかねない……これでは不敬にもほどがあるのです。

それだけに今回の様に、おこなわれる日時があらかじめわかっている改元は珍しい。天皇陛下が譲位でもされない限り発生しないものですから、江戸時代後期の光格天皇以来、約200年ぶりのことだとか。
あらかじめ元号が発表されて改元まで1カ月も間が開くという事態は、なんだか早すぎる気がするのです。

 

社会的な混乱を避けるというのが、主な理由

にもかかわらず、いち早く新元号が発表される理由とは、第一には社会的な混乱を避けるため。昭和から平成の改元よりも、ずっと多くの場面で使われるようになったコンピュータのシステム更新を見越してのこと。
例えば、和暦がいまだに広く使われている業界といえば金融系や医療系など。用いられているシステムには「和暦マイナス12」で西暦に直すというプログラムがゴロゴロしているといいます。これらを書き換えるだけでも1カ月は必要、こんな判断がおこなわれたのでしょう。

「えー、1カ月?!時間がぜんぜん足らないよ」
元号をもっと早く公開すれば、現場のSEさんが忙殺されることもないのにという声も聞かれます。また実際に、2018年の夏や末に元号を発表、2019年の元日や4月1日に改元という案も検討されました。

しかし政府関係者が出した結論は「2018年内に新元号を発表すると、今上天皇の御在位30年記念式典(2019年2月24日開催)時に、新天皇に国民の意識が移ってしまい失礼」というもの。これにも異論が噴出したのですが、まあ、偉い人たち考えた結果、落とし所が4月1日に新元号を発表、5月1日に改元ということになったのでしょう。

 

スケジュールに余裕が、あってもなくても

新元号の発表が早いのか、どうなのか。
私、アントニオ犬助はSEでもありませんし、印刷にも直接かかわっているわけではありません。だから新元号の発表から改元までの期間が1カ月と聞いても、むしろ早すぎはしないか?とすら思うのです。

そして感じるのは準備期間が短くても長くても、時間が足らない場合には足らないし、あまる場合にはあまるということ。このことはスケジュールに余裕のあるなしで、決まることではないということ。つまらないミスが引き金だったりするものです。

ですから犬助は「そもそも、改元とは突然なものなのだ!!」なんて考えてしまうのですが……。本当に修羅場になってしまう予定の方々、これを読まれて気を悪くされたならば申し訳ありません。

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アントニオ犬助
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みんなに嫌われるジジイを目指して、日々精進中!!
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