日本軍が誇った「零戦」の本当の凄さとは?

  • 2017/11/05
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ゼロ戦ではなく「レイセン」

ゼロ戦ではなく「レイセン」
ミリタリー好き、航空機ファンならずとも、日本の戦闘機といえば「ゼロ戦」と誰もが答える程に、この飛行機以上に有名な飛行機ではないでしょう。にもかかわらず、本当は「ゼロ戦」ゼロセンではなく、「零戦」=「レイセン」が正しい呼び名だという事を知っている人は案外少ない様です。そのため、ここでは「レイセン」と呼ぶ事にします。

多少の興味のある人なら、零戦の優秀さがその卓越した空中格闘性能である事はご存知でしょう。しかし、零戦の本当の凄さは、予備タンクである増槽を付けると3,350km(初期型21型)という、その長大な航続飛行距離にあるのです。

例えば、当時ライバルであった米陸軍のカーチスP40の1,207kmと比較して3倍近い距離を一飛びに飛んでしまう訳です。

 

第二次大戦=飛行機の戦争

第二次大戦=飛行機の戦争
さて、何故この航続距離が人をして零戦を優秀機と言わしめるのかを伝えるには、「戦闘機の役目」を理解しなければなりません。

敵戦闘機との空中格闘戦で華々しい勝負を展開する場面は誰もが想像できるでしょう。もちろん、これが最終的には戦闘機の仕事になる訳ですが、それだけでは戦闘機の役目を分ったとは言い難いのです。

第二次大戦はいわば「飛行機の戦争」とも称されます。「爆撃機」が敵基地や敵艦を爆撃する事が、敵の戦力を削ぐ大きな一つの方法でした。

しかし、当然ですが、敵も戦闘機による防御を計ります。大きく重い爆撃機は、戦闘機に攻撃されると逃げる方法がありません。そのため、味方の戦闘機が敵戦闘機からの攻撃を防ぐ必要がありますが、小さな戦闘機は「積める燃料量が少ない」ために、大きな爆撃機ほどの距離を飛べないのです。

従って一、定以上の遠距離爆撃の場合、爆撃機は味方戦闘機の援護がなく、対米開戦以前の中国戦線で日本軍爆撃機に多くの犠牲が出たのです。

この問題を解決するため、「航続距離の大幅増」が、零戦開発時の日本海軍の要求でした。これがクリアされた結果、開戦当初の米国領土であったフィリピン攻略に大きな成果を上げたのです。

 

ことごとく零戦の餌食となったアメリカの戦闘機

ことごとく零戦の餌食となったアメリカの戦闘機
日本の爆撃機がフィリピンの米軍基地を爆撃する時には航続距離の長い零戦による護衛が可能なため、最小の被害で最大の成果を上げられたのです。もし、この時点で零戦が実戦配備されていなかったらとしたら、当然ながら日本軍の戦果はもっと小さくなっており、フィリピン攻略にもっと時間が掛かっていたことでしょう。

開戦当初、日本の爆撃機は零戦に守られながら有効な爆撃を行いました。それを迎え撃つため舞い上がって来たアメリカの戦闘機は、ことごとく零戦の餌食になっていました。

その一方、米軍には「爆撃機と一緒に飛んで来られる戦闘機が無かった」ために、基地防御の日本軍機に多くが撃墜されるという、圧倒的に日本軍有利の航空戦だったのです。

しかし後に米軍が航続距離が長大で、高速・頑強な新鋭機を大量に投入して来るようになると、国力の差によって消耗する零戦を十分補充する事が出来なくなった日本軍は徐々に劣勢になっていきます。

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