ドラクエ、モンスト、カラオケ、ヒット作の影武者、トーセってどんな会社?
- 2018/06/15
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近年、各有名ゲーム会社は、優秀な請負会社に長年の敬意を示す意味も含め、社名と関係を公表している。
そのうちの一つが京都府に本拠地を置くトーセである。
島津製作所、日本電産など、数々のベンチャー企業を生み出してきた京都。
インベーダーゲームの下請けをしていた会社の社内ベンチャーから始まった会社が40年以上黒字を叩きだす底力はどこにあるのだろうか。
ゲーム会社の影武者は社内ベンチャー出身
トーセは、ゲームの企画提案から開発運営までをゲーム会社から一手に引き受ける
『企画提案型受託開発専用企業』である。
手掛けたゲームのうち99%は、契約上社名を出せないので、ゲーム界の影武者と言っても過言ではない。
影武者としての強みを生かし同業他社からの依頼を受け、社内でも受けた業務の秘密は厳守。
2018年8月現在、2287本のゲームを世に送り出し、その内訳はコンシュマーゲーム1047本、モバイル952本、
ゲームセンターなどに設置するアーケードゲームが288本となっている。
『ファイナル・ファンタジー』、『伝説のスタフィーシリーズ』『ドラゴンクエスト・ライバルズ』『モンスター・ストライク3DS』
などはトーセが手掛けたごく一部の商品だ。
彼らが影武者となり世に送り出したゲームの数は、会社四季報によると世界一、その記録は破られていない。
現会長の斎藤氏は、父親の経営するパナソニックの下請け会社『東亜セイコー』の二代目として’79年に入社。
大学の理工学部だった事を生かし、在学中、当時流行っていたインベーダーゲームの修理を父親の工場で行うアルバイトをしていた。
入社同年に資本金200万で、社内ベンチャーとしてゲーム専門会社『トーセ』を設立。
インベーダーゲームをはじめとしたアーケードゲームが下火になる前に、ファミコンの様な家庭用ゲーム機の時代が到来する事を視野に入れ、ゲーム作りをシナリオ作りから独学で始め、ゲーム会社に売り込んだ所ヒット。
それからリーマンショックの時以外は全くリストラをする事もなく、突っ走り続け、黒字を出し続けていたという。
ビジネスの強さの秘訣はどこにあるのか。
ローリスク・ミドルリターンを狙った経営
斎藤氏は、ゲーム会社は、利益は大きいが反面損もする事も多くライバルも多いハイリスク・ハイリターンだと言う。
そんな市場に新参者として乗り込んでいくと、技術だけ優れていても潰されるのがオチだ。
斎藤氏がゲーム会社の影武者として営業を始めた時は、社の営業担当は一人しかいなかったらしい。
その時に肌身にしみて思ったのが、ゲーム会社はお客様の訴訟、クレームをすべて引き受けてくれる事。
自分たちは、ゲーム会社の開発部門という最先端に携わらせてもらえる事。
ローリスク・ミドルリターンで、社の最高の技術を学べるのだからよいではないかと、捉える様になったのだという。
だからこれから先も影武者で居続けるというのだ。
ゲームも、ファミコン登場時は3か月で作る事が出来たが、スマホのゲームは作るのに1年かかるという。
それも8割完成させて、バグを修正し、毎日アップデートするのがスマホのゲームなのだそうだ。
PS3と全く作りが違うので、毎日が勉強でワクワクするという。
何故ここまで仕事に対するモチベーションを維持できるのかというと、仕事も遊びも同じなのだという。
仕事のウサはらしの為に、趣味に没頭し、お金をつぎ込む人がいるのは非常にもったいないというのが、
斎藤氏の持論だ。
また面白い事に、この会社『平和ボケすると退職者が出てしまう』というジンクスがある。
’99年に上場しているのだが、上場した理由というのが、『平和すぎて退職者が出てしまった』からなのだ。
おそらく『ゲーム作りの影武者に甘えていれば一生儲かると社長や社員はカン違いしてるのでは』と思った会社のCEOが、他の会社にやりがいをみつけ移ったのが本当の話かもしれない。
落ち込んだ会長は考えた末、会社には本業以外の目標とやりがいも必要というので、上場を決定したらしい。
そして’99年の上場に間に合わせる為に、やめた人間に戻ってこいと呼び戻し、上場担当に任命したという。
上場後の株の評価額も上場当時、3日連続で制限いっぱいまでストップ高になり、日経新聞に取り上げられ、『どんな会社だ?』となった程なのだから、上場は、社員のモチベーションを再びあげるという意味でも成功だったのだろう。
ローリスク・ミドルリターン、現状に甘えず平和ボケしない、働く事が夢である。
この三本柱が守られているからこそ、トーセは今日も黒字を出し続けているのではないだろうか。