同窓会の通知はどう返信するのが大人の振るまいか
- 2018/11/05
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何の関わり合いもなくなった組織から毎年通知が1通
いよいよ深まりゆく秋は、働いていても学んでいても組織が一番落ち着き、さして繁忙でもなく、ゆえに大きな企画や催し物の開催が多い季節でもある。
それはアカデミックな場所でも同じようで、この時期舞い込む郵便物といえば、税控除のお知らせと「同窓会の通知」ばかりだ。
同窓会の通知…それは自分がかつて属した全ての組織から、チャンチャンと年1回定期的にやってきて、一時あの頃に引き戻される心の片道切符である。
残念ながらオジサンは故郷から遠く離れた地で学んだため、同窓会に出かけたことはない。
そして無沙汰をしてかれこれ20年を超えるので、もう現地に赴くこともないだろう。
となれば、返信くらいはしなければなるまい。
さて、今年は何と言葉を返そうか。
知恵袋にあった「幹事の気持ちになって」という投書
通常同窓会の返信はがきには、出欠の問いともうひとつ「ご近況をお知らせください」という欄がある。
これがかなりの難問で、まず
▼参加する人が近況を長々と書く
会に参加する人は行ってから存分に皆と話をすればいいのだから、出席予定者の異常な長文は「?」だろう。
▼参加しない人が近況を長々と書く
これは想定しうる返信の中で最も期待に応えたものだ。
中にはなぜ参加できないかについてふれたものもあるだろうから、書くなら誤解を生まないように、少々文章がかさばっても許されそう。
▼参加する人が近況を書かない
実際はこれが一番多いだろうか。
毎日忙しくしており「通知は出すからコメントは勘弁してくれ」といったサラリーマン風情も感じる。
▼参加しない人が近況も書かない(ハガキを返さない含め)
実はこれに関しては、知恵袋に「まとめている幹事の気持ちになって近況が知りたいという声になぜ応えてくれないのか」という質問が寄せられていた。
オジサンくらい枯れた人間になると「アハハ、そういう頃もあったなあ」と思えるのだが、質問者は気概にあふれてまだお若いのだろう、(たとえ欠席者であっても)なぜ自分と同じ熱量でいてくれないのか、それが哀しくて仕方がないといった様子なのだ。
ま、この質問に関する答えは「人それぞれ」ということにしておいて、今年の通知に書く返事をもう少し考えるとしよう。
すべての返信は組織在籍時の自分と比較されている
よくよく考えると、たとえこっちが近況欄に何と書こうが、読む人は「この前会ったときの自分の様子と」今回の文章を比べることは間違いない。
この前が学生時代なら学生のままだし、社会人になって交流があれば「直近遊んだとき以来」ということになる。
だからクラスで元気の塊みたいだったウルサいやつが近況一言「欠席します」で片づけてあったら事務方は「え?これってちょっと…」と心配するだろうし、ここ10年誰も寄りつかなかった声の小さい女の子が今年突然近況欄一杯に「リア充」を押しつけてきたら、それはそれで「なんなの、この子…」ということになる。
通知欄に今の自分を反映させたくないならば、もう一度組織在籍時代の自分をよく思い出さなくてはならない。
今の自分の置かれた立場とは無関係に。
当時元気がよかったら、今回も元気を出して書き、当時おとなしかったらおとなしいイメージを崩さないまま返事をしてやるのが、幹事側が望む答えのひとつである気がする。
「そうそう、コイツ○○だったしなぁ」
「変わってねえなぁ、○○チャン」
同窓会で聞きたいフレーズの半分は、こんな類いの決まり文句だろうから。
では大人の返信とは何なのか
オジサンが考えるオトナの返信とは
▼あの頃の自分を演じながら決めぜりふを一言書いてあげる
これに尽きると考えている。
病気をしたとか、宝くじが当たったとか、そういう「めっきり年寄りじみたバカ正直の近況」でもいいんだけど、あんまり粋じゃないよね。
加えて、いま同窓生が向かっている人生の方向はひとつではないのだから、幹事側も当時からの熱量の変化を憂いても仕方がない。
「便りのないのが元気な証拠」という言葉もあるくらいで、幹事を引き受ける以上は幹事が一番大人になって、皆を包み込む包容力を発揮してしかり、ですぞ。
というわけで、オジサンは今年も「まだ競馬で倉は建っていません」としたためる予定です…。