地方の体育館でダイナマイト・キッドに学んだ、男の生き様
- 2018/12/21
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彼は、おバカ男子だった犬助のあこがれだった
「水たまりには進んで入る」「傘を強く振って逆開きにする」
分別のある大人はもちろん、同年代の女子にすら理解不能の行動をとる「おバカ男子」。私、アントニオ犬助にも、おバカ男子のころがもちろんあり、当時のあこがれといえば、ダイナマイト・キッド。昭和の小学生の休み時間の定番、プロレスごっこでは、多くの同級生がタイガーマスク役をやりたがる一方で、犬助は頑なにダイナマイト・キッド役をやり続けたものです。
なぜ、ダイナマイト・キッドが好きだったか? というと「かっけぇ」かったから。小さな身体に鼻っ柱の強そうな面構え。高速ブレーンバスター、ツームストンパイルドライバーといったキレキレの技。そして技を決めた方にも相当ダメージがあるであろうと心配になる、ダイビングヘッドバッド、どれをとっても魅力的だったから。
おバカ男子の最上級の評価である「かっけえ」という言葉に値したからです。
WWFでも大活躍した、かっけえプロレスラー
日本マットを後にしたダイナマイト・キッドは従兄弟のデイビーボーイ・スミスとともにWWF(現WWE)へ移籍。タッグチーム「ブリティッシュ・ブルドッグス」として活躍することになるのですが、当時、専門誌でダイナマイト・キッドの写真を目にした犬助は「身体が新日本時代と比べて2倍ぐらいに大きくなっている」と、驚愕したもの。
「アメリカのヘビー級のレスラーと戦うには、身体を大きくする必要があったに違いない。どれほど激しいトレーニングを積んでいるのか」そのストイックさに、犬助は「かっけえ」と惚れ直したのでした。
1990年代になるとWWFを退団したダイナマイト・キッドは、主戦場を全日本プロレスに変更。またもや熱いファイトを日本のファンにも見せてくれるようになったのですが、少々の戸惑いが犬助にはあったもの。
なぜならタッグマッチが主となったとはいえ、ダイナマイト・キッドの稼働時間が短いから。大柄な相手に何度もぶつかっていくショルダータックルなど、要所で見せる動きこそ往年のものでしたが、どうも休んでいる時間が長い。身体もWWF時代と比べるとしぼんでしまっている。「かっけえ」とは、思えなくなった彼がいたのです。
後で彼の自伝「ピュア・ダイナマイト」で知ったことですが、精彩を欠いていた原因は椎間板を始めとして体中に負傷箇所を抱えていたことと、ステロイドや鎮痛剤などの薬物の副作用だとか。体調は、常に万全ではなかったのです。
生で観た彼は、精彩を欠いていたものの……
それでもダイナマイト・キッドを一目見たくて、犬助は高校生のころ近所の体育館へと足を運びました。生で見た彼はテレビで観ていた以上に体調が悪そう、筋肉も落ちて、さらに小さくなった身体に悲しみを感じたものでした。
しかしそんな身体でも、何度もぶつかっていくタックルとか、気合とともに投げるブレーンバスターとか、要所では見せてくれるのです。
地方の体育館にはテレビカメラも入っていませんし、客入りも超満員とは程遠い。それでもダイナマイト・キッドは満身創痍の身体に鞭打ち、可能な限り全力でのファイトを見せてくれた。そして……やめておけばいいのに、トップロープからダイビングヘッドバッドまで決めてくれました。
確かに、タイガーマスクと闘っていたころと比べると精彩は欠く動き、「かっけえ」とは感じられませんでした。しかし、ボロボロのダイナマイト・キッドは充分「カッコイイ」存在でした。その半年後に彼はマットから去ることになります。
期待された以上、全力で応えるという生き様
小さな会場でも、体調が悪くても、期待している客がいる以上、それに応える。
これは彼が自身に定めていたルールだったのでしょう。
おバカ男子のころの犬助なら、キャリア末期のダイナマイト・キッドを見てもファンになることはなかったはず。しかし高校生になった犬助にとって、ボロボロの彼は充分カッコよかった。ファンの期待に応えるために精一杯の闘いを見せる彼から、犬助は男の生き様を学びました。
そんなダイナマイト・キッドは、リングを離れて以降、マスコミやファンを極端に避けていたといいます。一説によると、全盛期を知る人々に衰えてしまった姿を見せたくなかったからだとか。そんなプライドの高さも実に彼らしいですし、カッコいいではないですか。
2018年12月6日、60歳の誕生日にダイナマイト・キッドはこの世を去りました。
「期待されたならば、全力で応える」
地方の体育館でダイナマイト・キッドが教えてくれたことを胸に、犬助もカッコよく生きていこうと思います。
デイビーボーイ・スミス、テリー・ゴディ、スティーブ・ウイリアムス、ジャンボ鶴田、三沢光晴……あのころの全日本プロレスで輝いていた連中は、みんな鬼籍に入っちゃったな。