鉄人衣笠祥雄ってどんな選手だったのか?
- 2018/05/22
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鉄人・衣笠祥雄
2018年4月に、惜しくも亡くなられた元広島東洋カープの衣笠祥雄さん。
「鉄人」と呼ばれ、そしてそれに相応しい輝かしい実績を持つ球史に残る名選手。
国民栄誉賞も受賞しており、野球ファン以外にも認知度の高い人物です。
ここではそんな衣笠さんがどんな選手であったかを、改めてご紹介したいと思います。
連続試合出場記録
衣笠さんのことが語られる時に、よく取り上げられるのが連続試合出場記録です。
1970年10月19日から始まったこの記録は、現役最後の試合となる1987年10月22日まで実に2215試合も続きました。
この試合数は日本記録どころか当時の世界記録でもあり、1996年にメジャーのカル・リプケンが塗り替えるまで破られることはありませんでした。
また2215試合の内678試合はフルイニング、つまり代走も守備固めも出されずに1回から9回までグラウンドに立っておりこれも歴代3位の記録となっています。
もちろん全てが順調だったわけではなく、1979年にはデッドボールを受けて肩甲骨を骨折。
全治二週間という診断が下されましたが、それでも翌日の試合には代打で出場をしています。
さらに次の試合ではスタメンにも復帰をしており、多くのファンや関係者を驚かせました。
常に試合に立ち続け、ファンの前に姿を見せていた衣笠さん。
1年に1度しか、数年に1度しか球場に行けないというファンも足を運べば必ず「衣笠」に会える。
オールスターゲームに13度出場し、引退後も人気が高かったのも当然と言えるでしょう。
なおこの記録から「鉄人」という愛称が発生したと思われがちですが、元々の由来は入団時の背番号が28・・・つまりアニメ「鉄人28号」から取られたのこと。
プレースタイルとも合致し本物の「鉄人」になるとは、名付けた人も予想し得なかったのではないでしょうか。
衣笠さんの背番号は1975年に「3」に変わり、広島カープの永久欠番となっています。
実績
鉄人ぶりが先行して語られる衣笠さんですが、それ以外の成績面でも超一流。
通算本塁打は504本を記録しており、これは長いプロ野球の歴史でも7位にランクインする数字です。
また足も速く1976年には盗塁王、守備でもゴールデングラブ賞を3度獲得しており、走攻守が揃ったオールラウンドプレイヤーとして活躍。
出場記録を作れたのは、このように走・攻・守でチームに貢献できる存在であったことも大きな理由として挙げられます。
スランプになった時は連続試合出場に対する批判もありましたが、記録継続中のシーズンでは全て二桁本塁打を記録しています。
どんな選手にも、不調の時いうのは必ずあるもの。
衣笠さんも引退する直前の年には自己最低打率となる.205を記録していますが、その年ですら24本塁打マークしています。
このようにスランプがあってもホームランは毎年安定した本数を記録していたことも、衣笠さんの凄さと言えるでしょう。
引退後
引退後は主に解説者を務めていた衣笠さん。
コラムの執筆やタレント活動も行い、多方面に活躍。
引退後も多くのファンに愛されました。
これほどの実績を持つ選手が監督やコーチをしないのを不思議に感じる人も多いでしょうが、これについて衣笠さんは「いろんな人間関係がある。」とコメントをしています。
亡くなられる直前も解説者と仕事をしており、グラウンド外でも鉄人で在り続けた衣笠さん。
星野仙一さんに続き、プロ野球界はまたも宝物を失ってしまったことになります。
しかしその功績は、これからも消えることはありません。
昔、広島カープに衣笠祥雄という「鉄人」がいた。
100年経っても200年経っても、この世に野球がある限りその名は語り継がれていくことでしょう。