おやじですが、今さら考えすぎる性格って直りますか?

  • 2019/06/13
  • ライフスタイル・娯楽
  • 482view
  • アントニオ犬助
タグ
  • 教養/知識
  • コミュニケーション
  • 人間関係
  • 心理
  • 性格
  • 教養
  • 知識

豪放磊落とされる人物も考えていた?

豪放磊落とされる人物も考えていた?
気持ちが大きく、小さなことにはこだわらない。
「豪放磊落(ごうほうらいらく)」って、あこがれますよね。大物政治家や戦国武将などを形容するのに、用いられる四文字熟語ですが、彼らはウジウジと考えたりしません。それくらいなら、即行動、スケールの大きさを感じさせますね。うん、かっこいい!

一方で私、アントニオ犬助は、考えすぎてしまうキャラクター。スケールの小ささは自覚していますから、豪放磊落な人物にあこがれます。「考えすぎの性格、直さなきゃなあ」と、思ったこともありました。しかし、それはずいぶん昔のこと。生まれ持った性格ですからどうしようもないと開き直り、考えすぎる性格を直すことも、大人物を志すことも、今ではあきらめてしまいました。その一方で思いついたのが、豪放磊落とされる大人物も考えたであろうということ。国の行方を左右するとか、一族の浮沈がかかるといった局面では大いに考えた。でなければ、ただの馬鹿。考えるのが良くないのではなく、考え「すぎ」るのが良くないのです。

 

考える・考えない、線引きをはっきりさせる

ではなぜ、彼らも考えていたにもかかわらず、考え「すぎ」といわれなかったか?というと、考えるべきことと考えないことの線引きをはっきりさせていたからでしょう。考えすぎといわれてしまう人は、どうしようもないことをグチグチと考えてしまいがちです。例えば、過去の失敗をいつまでも引きずっていたりする。また、自分の力の及ばないことについて、考えていたりする。これらは時間のムダですし、精神衛生上よろしくありません。すぐさまやめるべきでしょう。

考えすぎる性格の人がすべきことは、考えてどうにかなるのか?と、自問自答することです。どうにかならない、と答えが出たならば考えない!線引きをはっきりさせることなのです。

 

考えていることが、バレなければ良いのです

自問自答した結果、自身が重大であると判断したとしましょう。ところが、他の人にとっては必ずしも重大とは感じられないということは、よくあります。当人は熟考を重ねているつもりなのですが、他人にとっては小さなことを考えすぎているようにしか見えない。これではスケールの小さな人物という烙印を押されかねず、大きなマイナスです。

ならば、考えていることを悟られないようにすればよいのです。
考えていることや、悩んでいることを口にしない、顔色に出さなければ良いのです。たとえば、自身が考えている、悩んでいることを吹聴して回るタイプの人がいます。周りは心配して、アドバイスをするのですが、口をついて出てくるのは「でもでもだって……」。これでは考えているのか、愚痴をいいたいだけなのがわからず、周りにとって非常に迷惑なのです。だから考えるならば、一人で黙って考えましょう。

 

大切なのは考えすぎと、他の人に思われないこと

先にも述べましたとおり、犬助は考えすぎてしまうタイプです。豪放磊落な人物はカッコいい思い、あこがれたりもしましたが、それを目指すのは難しいという結論に達しました。だって数10年かかって作り上げた性格、今さら直すことなど不可能だからです。そして同時に思ったのが、考えるキャラクターも決してカッコ悪くはないということ。といいますか、豪放磊落とされる人たちも、決して考えなかったわけではないのです。

ただし同じ考えるにしても、注意すべきことはあります。それは過去のことや、自身の力が及ばないことについては考えないこと。そして、考えるにしても他の人に悟られないこと。考えすぎと人に評価されないことです。

これを守って、ドンドン考えていきましょう。だって、17世紀に活躍したフランスの哲学者、パスカル先生もいっているではないですか「人間は考える葦である」と。つまり、人間は考えるのをやめたらお終い、人間ではなくなってしまうのですから。

この記事の作者

アントニオ犬助
アントニオ犬助
みんなに嫌われるジジイを目指して、日々精進中!!
up アントニオ犬助
アントニオ犬助

週間アクセスランキング

    ページTOPへ
    ページTOPへ