日本のシェアサイクルが市民権を得られないこれだけの理由
- 2018/03/02
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自転車を新たな交通システムと呼ぶ試み
最近、大手企業体などが音頭をとって、日本でも共用の自転車を乗り回せるシステムが稼働し始めている。
シェアサイクルとかコミュニティサイクルとか呼ばれるこのシステムは、もとは街中の自動車の渋滞緩和、環境への配慮などを目的に海外で始まったもので、日本では企業体、行政が運営する「試験的導入」「社会実験」という側面が強い。
しかし、ここ最近の急速なサイクルインフラ整備の動きは「シェアサイクル元年」と呼ぶにふさわしいものがあり、自転車はいよいよ街中、観光地を中心に無視できない移動手段になるだろう。
ただ、このシステムが即日本で日の目を見るかというと、そんなに話は甘くない。
そこには、日本だから見えてくるいくつかの課題があるからだ。
サイクルカルチャーの歴史的重みが違いすぎる
たとえば欧州における人と自転車との関わりは、日本のそれと比べて、量も、質もずっと深みがある。
スポーツとして頂点に位置するサイクルロードレースの認知度は、想像を絶する価値を持っている。ツールドフランス、ジロデイタリア、ブエルタエスパーニャの3大レースを筆頭に、年がら年中各地でレースが行われ、沿道の観客が熱狂し、勝者には惜しみない賛辞と、名誉と、マネーが与えられる。
なんでもそうだが、頂点が高い分野は裾野に下っても見下されることがない。サッカーしかり、バスケットしかり、自転車も崇高なカルチャー、一大産業として市民権を得ている。
だから、欧州では市民が自転車を見る「目」が全く違う。
日本の気候条件、街中環境が自転車に厳しい
高校時代に40分かけて自転車通学していた経験から言っても、自転車移動が快適に思えるのは1年のうち半分がいいところ。
暑さ、寒さ、雨、雪、風…四季がめまぐるしく移りゆく日本の悪い面が自転車移動には全てのしかかる。
しかも、だ。
日本は大都会であっても、まったいら平坦な都市というのはあまり存在しない。なにしろ首都東京がそうなのだから。
坂の街東京、なんて揶揄があるくらいで、自転車でも難儀するような難所があるのはよく知られた話だ。
気持ちのよいコースばかりでラインナップを固めて、本当に使いたい難コースに自転車がなかったら、ちょっと本末転倒気味?にも思えるのだが。
乗りたいサイクルの種類がそれじゃない
いま、新たに自転車がほしいと思う人の大多数は「電動アシスト付き」自転車に興味があるそうだ。
自分も一度借りて乗ったことがあるが、あれは別次元の乗り物。
予算さえ許せば、ほしくなるのも当然の良品だ。
しかし、残念なことにシェアでは「アシストなし」「背丈小さめ輪径小さめ」の「マッスル系こぎこぎチャリ」であることがほとんど。
あれならママチャリの方が数倍マシという声もある。
自転車に向けられている視線が年々イタくなっている
袖触れ合うも多生の縁、なんてもう昔の話。
「この道は人が優先だ」「車道に出てくるな」とまあチャリと人とクルマとのせめぎ合いが激化しているその日本の、あえて街中に課題をばらまく行為とはこれいかに。
欧州の「自転車」と、日本の「チャリ」との立場の違いは、こんなところにも影を落とす。
つまりビジネスとして成り立つあちらと、お互い邪魔であると騒ぐこちらでは、そもそも人と自転車との付き合い方、根っこが違いすぎるのだ。
だれかそこから教えてくれるならともかく、文化が醸成されていない土地でどこまで辛抱強く待てるか、疑問が残る。
そして日本の若者は誰も乗りたいと思っていない
自転車の振興協会の統計などを見ると、いま一番自転車を使っている年齢層は「40歳代」だとされている。
逆に「20歳代」はダントツの最下位。その差、なんと2.6倍。
つまり、自転車を抵抗なく使うのは我らオヤジ世代ですっかり断絶していたのだ。
シェアサイクルで「ポート」と呼ばれる停車場を各地に効果的につくれば、そこで買い物なりビジネスなりに発展しないか、というもくろみもあるようだが、その客層が初めからこんなに偏っていてはマーケティング面で頭が痛くないのだろうか。
実際、乗りたくても「今から練習するのはちょっと…」という乗れない若者も大勢いるだろう。
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この方が意外とイケるかもよ。