その勢いもはや本家超え!フランク三浦を作った会社の耐え忍んだ20年

フランク三浦というパロディ時計がある。
正確には『浦』の右半分の点すらないのだから、どう読めばいいのという時計だ。

パっと見は本家フランク・ミューラーなのだが、真ん中に老眼では見えないぐらい小さい字で、『フランク三浦』と自己主張している。

三回読んでねと書いてある取扱説明書は、笑いを誘う。

非防水だから水につけないで、しょっちゅう狂うから電波時計で時間はこまめに合わせてね。
検品している人の平均年齢は58歳だから商品の小傷や稀に縮れ毛混入しても大らかな心で使わないといけないよ。

耐久性も期待しちゃいけない、もしも落として壊したら、持ち主の身代わり地蔵になったと思って『もう一つ同じものを買って』というものだ。

真面目なユーザーからは怒られそうだが、この時計を作った会社・ディンクスが20年、辛酸をなめてきた歴史を考えると、これぐらい書いてもいいんじゃないかと、思ってしまう。

実業家から、野球選手まで、ファンを広げているフランク三浦。
『本家』に訴えられても『ブランドコンセプトや価格や客層があまりにも違いすぎて話にならない』という理由で、パロディの方が勝訴したという、笑ってしまう展開になった。

今やクッキーも財布も出す商品の展開ぶり。
が、この会社、他社のOEMを手掛けていた10年前は時計マニアの間で、潰れたら困ると心配された会社だった。

 

トゥルービヨンを100分の1の価格で作ってしまう驚きの会社

フランク三浦の販売元は、大阪・鶴橋駅を降りて、住宅街の方に歩いた所にある『ディンクス』という腕時計をはじめとしたファッションブランド品の並行輸入品や、他社のOEMを扱う会社だ。

光岡自動車の儲けが、消防車や救急車など特殊車両の製造で、ビュートやオロチ、ガリューなどの車は、社長の一途な思いから始まったのと同じで、ディンクスもまた、フランク三浦で儲かっているというわけでもない。


私がこの会社の存在を知ったのはかれこれ15年以上前。
この会社は『B-Barrel(ビーバレル)』という時計マニアの間では名前の知れた時計を作っていた。

これがまた面白いコンセプトで、2000万~3000万して当たり前というトゥルービヨンを20万で作り、40万ぐらいしそうな機械式や手巻き式を、2~3万円で作ってしまうのである。


自分でムーヴメントをなおせる時計収集家やマニアは飛びついた。
と、同時にお金はないが機械式時計全盛期の面白さが欲しい人も飛びついた。

父親の形見のロレックスしか持っていなかった私も飛びついた一人.。
後に自分の買った時計が大当たりだった事を知る事になる。この時計、壊れる事で有名だったのだ。

 

マニアに支持され続けてきたB-Barrel

私がディンクス本社を訪ねた10年前、社長はユーザーから毎日の様に来るクレームに困り果てていた。
中には、オークションで安く競り落とした劣化品に対して国産クウォーツレベルの動作環境と正確さを求めるユーザーも居た。

社長の下部さんは名門PL学園野球部の元キャッチャー。
上宮の元木に目の前で、ホームランを打たれる事がなければ、今頃野球選手になっていたかもしれなかった。

大学を卒業後、職を転々とし、パチンコ店の景品用の時計を海外から仕入れる並行輸入品の会社に入社したものの、その頃は時計には興味はなかったという。

だが9.11で取引先商社が大打撃を受け、急遽中国まで行って時計を作ってこなければいけなかったのが、全ての始まりだった。


コピー大国の中国では、クウォーツ時計が席捲していたが、下部さんは『これだけの技術があれば機械式腕時計を日本に安く届ける事ができるのでは』と注目。

全く時計の事がわからなかったという下部さんは、毎日毎日ネットで時計マニアから知識をもらい、そこで『手に入りやすい価格で機械式全盛期の時計を』というコンセプトの元、B-Barrelを作った。

だが、この商品、製造元が中国なだけあり、ある日工場が全焼した、工員に夜逃げされた、発注したベルトと違う色のベルトが来た、指定したデザインと違うものが来たと様々な難題にぶち当たることになる。
運よく作ることができたとしても、日本のユーザーからは『動かなくなったぞ!』と怒られるのだ。

数万円の中国製のシーガル社のムーヴメントに、300万もするスイス製の時計の品質と同レベルを求めるのが日本人だと下部さんは嘆く。


当時この会社は、自社製品で、どうしようもなくなったものを、部品としてバラして保管し、お客様から無理難題の修理依頼が入った時の為にパーツとして保管していた。

そこまで顔の見えないクレーマーに真摯に対応していたにも関わらず報われなかったのである。
その為、B-Barrelは、’17年にブランドとして一時休業状態に追い込まれた。

本当に残念な限りである。
私の手元にあるのはB-Barrel全盛期かつ難産の時でもあった『シンプル天津』だ。

3本あったB-Barrelで今もきちんと時を刻んでくれるのは、これ一本だけ。
大当たりをつかんだのか何度もオバホをしているロレックスよりも元気で動いている。

いつかまたこの時計を作って欲しいと心の底から願ってやまないのだが、今ディンクスが売り出しているのは、フランク三浦だ。

そもそもこの時計、社でもウケなかったらしい。何故なのか。

 

売れなかったらタダで配ろうかと思っていた?

フランク三浦の話がディンクス社内で出ていた時、ウケたのが営業担当一人という、とんでもない話だったらしい。

後にヒットする商品というのは、『応援してくれる人がたくさんいてイケイケドンドンになる』というのが成功のセオリーだが、フランク三浦が逆のパターンを行った事に私は興味を覚える。

社内でも『売れなかったらタダで配ってもいいや』という半投げやりな態度で作っていたそうだ。
社長が『なんかおもろい事ないかな~フランク三浦なんてどうや~』というノリでマジックで落書きのデザインから5000円クラスでこの時計作ってと言って、作ったのだから仕方がない。

ついでに言うと、あの独特な取扱説明書も、B-Barrel時代にクレームの嵐を受けてきたので『この手のクレームは一切乗りません』という免罪符をジョーク風にアレンジしたものだ。


冗談の判らない人と、時計の相場がわからない人は買っちゃダメという事になる。
2000万の時計でも非防水はあるし、ぶつければ壊れる。
なんにでも耐えられる時計が欲しいなら、1つ1億するリシャール・ミルを買うしかない。

お手頃価格で売り出しているフランク三浦だが、社長曰く実売価格1~2万円の時計をあの価格で売っているのだから、儲からないのだという。

芸能人に広まったきっかけは、PL学園野球部出身で、元ヤクルトスワローズの宮本慎也氏だった。
当時コーチだった宮本氏は、投手が1勝する度に、下部さんに頼んで、選手の名前を彫った特注時計をオーダーしていた。
その額年間2000万というのだからかなりのお得意様だ。

オーダーが来た時に、電池が止まって動かないフランク三浦を福袋よろしくドサっと宮本氏に送った所、選手全員の分、1軍とスタッフ全員の分を買うから送ってという事になり、あれよあれよよ広まっていったという。

普通なら広告費がかかる腕時計。
楽天市場のショップも、昔は委託でショップに大きな事を言えないと萎縮していたが、今では自前の店を持ち、トントン拍子になっているので、一ファンとして安心している限りだ。


だが願わずにいられないのは、昔のように、機械式腕時計のこだわりを全面に押し出した時計の復活劇である。
暑苦しい熱気ともうからなくてもいいから全力でやっていたあの頃のこだわりをもう一度というのはファンの欲目だろうか。

 

この記事の作者

沖倉 毅