震災で注目度急上昇の熊本城ってどんな城?

  • 2016/05/27
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国の特別史跡・熊本城とは

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最大震度7を観測した熊本地震では多くの家屋が倒壊し、道路も寸断されました。中でも甚大な被害状況の象徴的存在が熊本城です。瓦や石垣が崩れ落ちた姿は、多くの人がTVやネットで目にしたでしょう。

1607年に完成したと考えられている熊本城は、櫓(やぐら。偵察や防衛のため高所につくる設備)や門などが国の重要文化財で、熊本城自体は国の特別史跡に指定されています。
特別史跡とは文化的・学術的価値が認められる史跡の中でも、特に重要性の高いもの。全国に61件しかないうちのひとつですから、歴史的な重みは計り知れません。
築城したのは戦国武将・加藤清正です。天下人・豊臣秀吉の家臣で、虎を殴り殺したという伝説を持つ猛将ですが、頭脳派の面もあり、さまざまな城をつくり上げています。

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熊本城は清正の城の集大成といわれ、数多くの仕掛けを持っていることから城郭ファンの間で人気が高い城のひとつです。

 

熊本城の構造、ここがすごい!

清正は早くに父を失い、育ての親の秀吉に深く感謝していました。このため、秀吉とその後継者の秀頼に生涯忠義を尽くしています。
熊本城には多彩な防御の工夫が何重にも凝らされていますが、その理由は有事の際に秀頼をかくまうと想定してつくられたからなのです。
では、実際に熊本城はどんな構造をしているのでしょうか。

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まず外側の石垣は、一見すると緩やかで登りやすそうですが、上に向かうにつれて反っており、簡単には登れません。この積み方は「清正流」と呼ばれる清正独自のものです。
敵が石垣を破って内部に攻め込んでも、建物と建物をつなぐ通路は何度も折れ曲がって見通しが悪く、簡単には進めません。しかも、通路上部の壁には射撃用の窓があり、銃や弓矢で侵入者を狙い撃ちできるのです。
城の中心・本丸の奥には昭君の間という、中国の美女・王昭君を壁に描いた格式高い部屋があります。清正はこの部屋に秀頼を迎えるつもりだったといわれ、城外への抜け道がつくられたという伝説もあります。

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当面の間は立入禁止区域あり

最終的に秀頼が入ることはなかった熊本城ですが、約250年後の明治時代に起きた西南戦争では明治政府軍の防御拠点となり、西郷隆盛軍を見事に追い返しました。敗れた西郷は「政府軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」と言ったそうです。
戦国時代にできた城が近代兵器の攻撃にびくともしなかったのですから、その完成度の高さには驚くばかりです。

しかし、これだけ鉄壁の防御力を持った熊本城でも残念ながら震災で一部が崩れてしまいました。これから崩壊する危険性の高い場所もあるため、震災直後から立入禁止区域が設定されています。
立入禁止区域は復旧状況によって変わってゆくので、見学に行く場合は事前にチェックしましょう。

熊本城公式ホームページ

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被災地へ観光に行くのも復興支援となります。震災の混乱が落ち着いたらぜひ熊本城へ足を運んでみてください。

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