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関東大震災で被害が大きかった地域にはある共通点があった

  • 2017/09/01
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防災の日の由来となった関東大震災

9月1日は防災の日

9月1日は防災の日。9月に入るとホームセンターやスーパーで防災グッズや非常食のフェアが開催されたり、週末に自治体で防災訓練が行われたりしますよね。この防災の日の由来となっているのが、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災です。
関東大震災は最大震度が6から7程度と推測される大地震でした。発生のメカニズムは日本の東側近海で北米プレートの下に沈み込むフィリピン海プレートの境界面に発生した海溝型地震と考えられており、震源は神奈川県に面する相模湾近辺と推測されていますが、範囲がとても広いため特定はできていません。被災地もかなりの広範囲で、関東地方を中心に静岡県や山梨県にまで及びました。
特に深刻な被害を受けたのが東京都でしたが、実はその中でも被害の規模には大きな差がありました。
それでは、激しく揺れた地域はどこだったのでしょうか。

 

統一性がないように見える深刻な被害の地域だが…

被害が大きかった地域を現在の地名で表記すると、次のようになります。

被害が大きかった地域を現在の地名で表記すると…

・丸の内エリア(皇居と東京駅の間)
・神保町エリア(大手町から水道橋近辺)
・浅草エリア北部(浅草寺や吉原など)
・上野エリア東北部(下谷近辺)
・深川エリア(墨田区南部から江東区北部)

いわゆる下町がやや多い印象ですが、丸の内方面にも被害が大きかった地域があり、一見すると統一性がないように感じますね。しかし、これらの地域には不思議な共通点があるのです。

一見すると統一性がないように感じる地域にも共通点があった

それは、1855(安政2)年11月11日に発生した安政江戸地震で激しく揺れた地域と重なるという点です。
安政江戸地震は関東大震災と違って都市直下型地震だったと考えられており、被害を受けた範囲はほぼ現在の東京23区という狭い地域に限られました。発生メカニズムや揺れた範囲はまったく違うのです。それなのに被害状況が似ているということは、地盤に同じ条件があると考えられます。

 

激しく揺れた地域にかつて存在していたものとは?

室町時代頃の東京都の地図を見ると、ふたつの地震で激しく揺れた地域がもともとはどんな地形だったのかがわかります。それは次のようになります。

激しく揺れた地域にかつて存在していたものは?

・丸の内エリア→日比谷入江(海)
・神保町エリア→大池(沼)
・浅草エリア北部→千束池(沼)
・上野エリア東北部→三河島(沼)
・深川エリア→海

実は、揺れが激しかった地域はすべて陸ではなかったのです。当時の深川エリアにいたっては近隣に住む人もなく、特に決まった地名がありませんでした。
東京都が本格的に開発されたのは江戸幕府が置かれた江戸時代からで、ふたつの地震で激しく揺れた地域はすべて江戸時代に入ってから埋め立てで陸となった土地なのです。根本が海や沼なので、地盤がしっかりしていないわけです。
今後、大きな地震が東京都を襲ったら、江戸時代と大正時代に激しく揺れた地域は再び深刻な被害を受けるかもしれません。国や都にはぜひ対策を練ってほしいですね。

参考文献:都司嘉宣「安政江戸地震(1855)の被害からみた江戸市中の詳細震度分布と大正関東震災(1923)との共通性について(深田地質研究所年報No.16)」(深田地質研究所)

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編集プロダクション、出版社の編集者を経てフリーライター。現在は歴史系記事をメインに執筆。それ以前はアニメ、コスメ、エンタメ、占いなどのメディアに携わってきました。歴史はわかりづらいと思っている方にもわかりやすく、歴史のおもしろさをお伝えしたいです。
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