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過熱気味の仮想通貨を、千両蜜柑から考える

  • 2017/08/01
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夏の日に思い出す落語の演目

夏の日に思い出す落語の演目

みかんが食べたい……そのあまりの食べたさに、遂に寝込んでしまった、ある大棚の若旦那。
そんな若旦那の頼みということで、みかんを探すように申し付けられたのが、その店で長い間奉公をしていた番頭さんです。
「何だ、みかんか!!」と、最初は軽く考えていた番頭さんですが、みかん探しは大難航。
なぜなら季節は夏の真っ盛り。冬の果物であるみかんが、そんな季節に売っているはずがありませんから、大阪中を探して回るハメになり……。

ご存知の方もいらっしゃるでしょう、落語の演目「千両蜜柑」。
今ならば、冷凍技術もありますし、輸入モノもあるでしょう。しかし、この噺ができたころは、そんな技術も流通手段も確立していない時代。気の毒な番頭さんは大変な苦労をします。

 

残ったみかんを手に、姿をくらます

そして、やっと見つけた1個のみかん、価格を聞くと何と千両というではないですか。
千両といえば、今の貨幣価値に直すとまあ1億円といったところでしょうか。

そんなとんでもない価格のみかん、いくら若旦那のためとはいっても旦那さんが買うわけがない。そう思って、番頭さんが告げたところ「安い!!」の一言で、ポンと千両。
そんな風にして手に入れたみかんを若旦那に差し入れると、まあ大喜び。

とまあ、ここで噺が終わればハッピーエンドなのですが……続きがあるのです。
喜んだ若旦那、1個の半分を食べて満足してしまい、半分を残してどこかへいってしまいます。

部屋に残されたのは、半分のみかんと番頭さん。
番頭さんはその半分だけのみかんを持って、店を飛び出し行方をくらましてしまうという。

 

物の価値はどこにあるのか?という問題

物の価値はどこにあるのかという問題

物の価値とは売り手と買い手、双方が納得した上で決まるもの。
いくら珍しい夏場のみかんだからといって、売り手が千両といったとしても、買い手が千両という値段に納得しなければその価値はない訳です。
ですから売り手と買い手、双方の間だけに物の価値は存在しているのです。

にもかかわらず番頭さんは、そのみかん半分に500両という価値があるかのように勘違いして、長い間奉公していた店を逐電してしまうという。これがこの噺の面白みなのです。

売り手と買い手の間では千両とか500両という値段があったかもしれませんが、所詮半分残ったみかんに過ぎない。にもかかわらず!! と、いうことですね。

 

その仮想通貨って、本当に価値があると思います?

仮想通貨には本当に価値があるのか

本来ならば売り手と買い手の間にしかないはずの価値が、次第に範囲が広がっていって普遍的な価値を持つかのように思ってできあがった取引価格が相場と呼ばれます。
「ああ、勘違いだったもっと低い価値しかない」と市場が思えば相場は下がり、逆になれば相場は上がるという。
つまり、相場というのは大いなる勘違いの上に成り立っているということを忘れてはならないと思います。

「売っているものに価値があるに違いない」、このことは勘違いかもしれないのに、多くの人がそれを勘違いと思わずに、価値があると信じ込んで物を売買したりする。

大体、半分のみかんには、みかんなりの価値があるとは思いますよ。
でも、単なるデータに貨幣価値があると思っているのは、勘違いじゃないですかね?
勘違いにも関わらず、それを意図的に信じ込ませよう/信じ込もうとしているから、何か高騰したりしているのはおかしいと思いませんか?

いや、近年過熱気味の仮想通貨の話なのですが。
自分がオヤジだから今風のトレンドに乗り切れていないだけなのかな? こんな風に思いつつ、落語の噺を思い出したりする、千両蜜柑にふさわしい夏の日だったのです。

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みんなに嫌われるジジイを目指して、日々精進中!!
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