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無理をしてまで、芸能を残さなくてはいけないのはなぜ?

  • 2017/03/30
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いい物しか残らないから、昔のものは良く感じるのだ

懐古主義的な考えを持つのは、新しい物が理解できなくなった、オヤジ化が進行したから?

何だか最近の音楽はつまらないものばかり、昔の音楽のほうが良かったなあ……こんな懐古主義的な考えを持つのは、新しい物が理解できなくなったから。
これって、カッコの悪いオヤジ化が進行している証明ではないか?
近年、そんな不安を感じていたのです。しかしある時、
「昔の音楽がの方がいいものがある思うのは当然のこと、なぜならいい音楽しか時代を超えて生き残らないから」
山下達郎氏がこんな発言をしているのを聞いて「我が意を得たり!!」と、ポンと膝を打ったりしたのです。
……まあ、都合のいいことのみ耳に残るようになってきた。
これもカッコの悪いオヤジ化の証のような気がしますが、まあそれは置いておいて……。

 

天平時代の遺物に、感動を覚えるのは

しかし、考えてみれば「いいものしか残らない」というのは、山下氏の言葉を引用するまでもなく真理かもしれません。
例えば「正倉院展」、毎年、奈良国立博物館で開催されるアレなんかその好例。
いいものだから1,300年近くもたった過去の遺物にも関わらず、毎年多くの人々を集めているのでしょう。
例えば、教科書に載っているような「螺鈿紫檀五絃琵琶」などを目の当たりにすると、言葉に出来ない感動に包まれてしまう。
そりゃあ、いい物だから当然でしょ? という話です。

 

あの、松永久秀ですら手をつけなかった正倉院

「いいものしか残らない」は真理でしょう。

そんな文化財と呼ばれる物は、製造時から貴重なものと認識され、後世の人々もその認識を共有してきたからこそ受け継がれてきたのです。
だからこそ、さすがの松永久秀も東大寺の大仏殿や数々の塔頭などを焼いても、正倉院は焼こうとはしなかった。
そう考えると文化財は放っておいても残るのです。
いや、久秀が正倉院を焼かなかった理由は、文化財の価値を感じて焼かなかったのではなく、戦略上焼く必要がなかったのかもしれませんけれど……。

 

芸事を残すために、国が手を貸すとは何だろうか?

一方で、無形文化財と呼ばれるものがあります。
こちらは演劇や音楽、工芸技術など文字通り形がないもので、歴史・芸術上価値が高いものを、国が保護するというものなのですが、これについてはどうなのでしょうか?
演劇や音楽、工芸技術などは時代に合わせて変化、または滅んで当然のもの。
国や地方公共団体などが保護する必要があるのでしょうか。
例えば落語、噺家で無形文化財に指定されている人は江戸に2人、上方に1人いる(いた)のですが、そんな物に指定しなくても残っていく芸だったのは間違いありません。
だって、彼らの芸は「いい物」でしたから。
そして、無形文化財に指定されていなくても、必ず残るであろう「いい物」を日々生み出している噺家もたくさんいるのです。
にも関わらず、多少の手当とともに人間国宝という肩書を与えるということに、何の意味があるのでしょうか。

 

売れない芸人は普通に滅びていくのに

噺家の修行を積んだからこその、存在感のある芸をテレビで見せ続ける人たちはたくさんいるわけで、これが時代に合わせて変化しているのです。

着物を身にまとい、座布団の上に座って「えー毎度、馬鹿馬鹿しい……」などという口上から始まるようなものだけが落語ではありません。
噺家の修行を積んだからこその、存在感のある芸をテレビで見せ続ける人たちはたくさんいるわけで、これが時代に合わせて変化するということ。
だって芸能ですからそれが当たり前、無形文化財としてありがたがる必要など全く無いと思うのです。
大体、芸能なのに保護されるってなんだよ……売れない芸人は普通に滅びていってるんだぜ。
そんな風に思うのですが、いかがでしょうか?

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